なぜ松山は四国最大都市の座を高松に奪われ没落しているのか

 

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 四国で最も人口が多い愛媛県松山市が50万人を割り込んだという。四国第二の香川県高松市が41万人で、ともに40万台として並ぶことになる。2005年には松山が51万、高松は38万人足らずの都市だった。衰退する街・松山と、伸びる街である高松の非対称性が人口変化から垣間見える。


 それでもまだ数の上では松山優位ではある。しかし地理に詳しい人の間では「四国の最大都市は高松だ」という考えが一般的だ。事実、企業の四国支社や国の出先機関などはその多くが高松に設置されている。松山にはおもに旧郵政省がらみの機関のみ拠点を構える。


 両都市の明暗を分けた最大のきっかけは1988年の瀬戸大橋開通だろう。それ以前なら、松山だろうが高松だろうが本土には船で渡る必要があったが、高松は実続きで最寄りの四国の都市になった。その後の明石海峡大橋開業で大阪方面の最短ルートは徳島回りになったが、それでも、鉄道橋があるのは瀬戸大橋のみ。岡山までなら快速電車で1時間程度で行ける。


 そして高松の場合は橋ができただけでなく、それに合わせて戦略的に機能強化を図って来たことが奏功している面が大きいといえる。そして、そうしたものを一切持たずに没落しているのが松山のリアルではないか。

再開発で四国の中心を集約させた高松駅

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 高松では、過去30年以上、JR高松駅周辺の再開発に尽力してきた。瀬戸内海に面した鉄道連絡船の接続拠点だったが、橋の開業で連絡船が廃止になったことをきっかけに周辺の大規模な整備を進めた。2004年オープンの四国で最も高いビルである「高松シンボルタワー」では大企業の四国支社がずらりと入居しているほか、2006年には合同庁舎も建設され出先機関が集約されている。


 開発はいまも続き、先月は駅ビルが大幅に拡張されたほか、大学キャンパスや大規模アリーナも作られる。名実ともに高松の中心が、そして四国の中心が高松駅に徹底集中するように一貫した都市計画を実行しているわけである。


 おそらくこれがなければ、高松はここまで立派な都市にはなれなかったといえる。先日私は北海道の函館に行ってきたが、鉄道連絡船のあったJR函館駅付近は旅行者向けのホテルが林立している以外は空洞化した様子が目立ち、駅ロータリー近くの百貨店も閉業後の建物がそのまま放置されていた。海に面したターミナル駅は道路アクセスが悪く、まちの賑わいが形成されづらい。もし高松が再開発をしなければ同じような衰退をたどっていた可能性は高い。


 ちなみに高松市は私鉄がある都市だ。特急中心のJRに対し、市内や県内移動手段として高松琴平電鉄があり、そのターミナルの瓦町駅がある周辺がもともとの中心市街地である。地元民にとっては、街はずれの何もなかった高松駅に行く必要性は乏しい。しかし、東京からの寝台特急が発着し、地元の観光名所の高松城・玉藻公園も隣接する高松駅地区を内外の交流拠点として重視したことが、今このように奏功しているといえるのだ。

どこが中心なのかが全く見えない松山

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 その点松山市は、どこにまちの軸があるのかが全く見えない。最大の繁華街があるのはアーケードのある大街道と呼ばれる地区。出先機関もある官庁街は松山城のお堀の周辺にある。高松市と同様に私鉄優位なのでJR松山駅より市街地に近い伊予鉄道の松山市駅が中心ターミナルになっているが、そこから大街道の電停までは直線で1km近くも離れている。


 一方で、JR松山駅も今さら担って立体化に伴う再開発を進めていて、駅ビル建設や周辺整備を進めているというから私には滅茶苦茶に見えてしまう。人口が縮小する衰退都市で、見境ない整備をすれば全部が中途半端になるのは当然である。松山には、まちのグランドデザインというのもがまるきし見えないというのが私の印象だ。


 伊予鉄道の松山市駅をめぐっては2001年に観覧車付きの巨大な駅ビルをオープンさせるなど中心集約が進み今も駅前ロータリーの再整備が進められているが、その一方でJR駅も再開発しているのだから方向性のぶれは否めない。しかもJR松山駅は本土とのアクセス環境のよい高松駅と違って利用ニーズが低い。東京方面からの訪問者は飛行機利用が一般的で、四国内からの移動も高速バスを使った方が所要時間は短い。


 仮に再開発をすべて完了しても内外の結節点として栄える可能性は少ないし、仮にJR駅周辺が盛り上がれば、その反動で松山市駅や大街道はシャッター化するはずだ。すでにこの10年くらいで大街道の衰退は始まっているという声がある。その頃には今よりもっと人口は減っているのだ。

独自性を見出せなければ地方都市は没落する

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 周知のように地方都市は車社会が一般的だ。四国も90年代に高速道路網が充実して以来、JRの特急が流行らなくなった。私鉄の利用も低迷気味である。松山では駅もない街はずれのロードサイドに大型ショッピングモールが開業し、そこにお客が流出する流れもある。そういう時代に、いまある既存の街や駅が賑わいを維持することは不可能に近い。もともと幾ら賑わっていようがほっておけば空洞化し、衰退する流れは不可避である。


 松山を見ていると、どうもそうした危機意識に乏しい。人口最大都市なのだから安泰だろうというおごりもあるのかもしれないが、どこを軸としてどう反映させるかという長い目で見た都市計画がなかった結果が、人口減少を招いたと言える。


 たしかなことはすでに四国の最大都市の座は高松に奪われ、今さら奪還不可能だということである。であれば今後すべきことは独自をを押し出すことでしかない。全部が中途半端にしかならない「JR駅も私鉄駅も再開発」とか、アリーナ整備のような他県のあるハコモノをおらが県でも作ろうというやり方は愚かである。限られた予算で似たようなものを横並びで作っても、ただのどこにでもある田舎県でしかなく、ますます松山は、愛媛県は没落するだろう。


 必要なことは独自性を示すこと。それのみである。そのためには松山は四国の中心ではなく、日本のどこにでもある田舎県の地方都市の1つにすぎないという不都合な大前提を認めた上で、その事実に基づきどう差異化を図るかという謙虚にやり直すことである。そんな姿勢を持てる人が、今の松山にいるだろうか?


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