なぜ「豊橋は未開の地」発言が大炎上してしまったのか

 

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 愛知県豊橋市が話題だ。X(旧Twitter)上で、この豊橋について「未開拓の地」と呼び酷評したポストが炎上状態になっている。投稿者はメガバンク出身といい、地方勤務を敬遠する若者に向け東京から豊橋に左遷された自身の経験をユーモラスに語っている。


 当該の投稿そのものの引用はここでは割愛するが、内容は以下に辺鄙な場所で不便化という批判や現地の人々に対するいわゆる「マイルドヤンキー」批判である。Xでは10年以上前からずっとこの手の地方叩きは盛り上がる傾向があるのでインプレッション稼ぎによく用いられてきたが、今回の件は特に炎症が激しいように見える。いつものようなネットの片隅が生き場所の匿名ユーザだけの盛り上がりではなく、地元ゆかりのスポーツ選手が自撮りをあげながら反応するなど「顔の見えるアカウント」にもリーチしているほどだ。


 ここで言及する地名は、地方都市ならどこでもよかったのかもしれない。地名を伏せても良かっただろうし、日本本土の最果て感のある青森でも鹿児島でもよかっただろう。しかしなぜ豊橋だと炎上してしまうのか。それは地方都市の中でも豊橋がビミョーな場所であるからに他ならないのだ。

「中部で11番都市」未開扱いに地方人は動揺

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 豊橋市は愛知県の南東部に位置している。名古屋までは70km離れており、新幹線「ひかり」で最速19分、鈍行なら1時間超離れているため、名古屋市のベッドタウンとはなっていない。山を越えた先に岡崎があり、その先も田んぼ地帯の合間に町がポツポツあるような環境が広がっている、典型的な非大都市の地方環境の中にある地方都市だ。


 しかしそうはいっても地方の中ではけっして都市規模が小さなものではないのも事実である。市の人口は約36万人で、これは広い中部地方の中では11番目に多い。他地方で考えても、東北地方の第二の都市・福島県郡山市が32万と考えると決して小さな規模ではない。


 また名古屋のベッドタウンとなれなかった代わり、豊橋を中心に周辺自治体が集まる独立した都市圏を築いている。それによると豊橋の都市雇用圏人口は全国29位で、北関東の水戸や九州第二の鹿児島を上回るという。地方都市としては規模がある部類なのである。

 周知のようにトヨタの本社もある愛知県は産業が盛んな地域である。東名間の恵まれた地の利を生かし、産業都市として栄えてきた歴史を持っている。豊橋に本社や拠点を構える企業は多く、そのためにメガバンクの支店も進出している。本当に田舎なら、県庁所在地でもなければ地銀や信用金庫しかないはずだ。


 つまり地方の人たちからすれば、豊橋は立派な方の都市の部類になる。豊橋市民やそれと同等の都市の人たちにとっては未開の地と呼ばれることは心外であるし、まして郡部の、たとえば農村や離島レベルの人たちからすればここが未開扱いなら自分たちはどうなるんだという思いになるのである。愛知とて山間部は過疎地があり、そうした集落に住む人は、週末などに日帰りできる最寄りの街は豊橋になるのだ。

都会人から見れば「多摩センターレベル」は事実

 一方で、地元東三河地方とみられる人からも、もとの投稿に理解を示すものもある。ある人物は、豊橋が「多摩センターくらいの感じ」という元の投稿に対し、豊橋駅が新幹線も停車するのに利用者が9万2千人と、多摩センター駅の12万8千人に満たない事実を指摘。それに対する反論についても、豊橋が寂れているという事実を突きつけている。


 首都圏出身者にとっては、自分たちが慣れ親しんだ常識を共有する環境として大都市圏に属していることはマストだ。関西はもちろん、札幌、仙台、名古屋圏や福岡市周辺が限界と言えるだろう。そしてそれは、郊外も含めて電車での行き来が盛んで、駅前に市街地が賑わってる環境が当たり前ということでもある。


 そうした大都市出身者からすれば、駅前がシャッターアーケード化して街に活気がないということはカルチャーショックである。何をするにも車移動で、幹線道路沿いのイオンモールのような場所以外に買い物に行ける場所もない、娯楽が全国チェーン店のロードサイド店舗しか見当たらないという環境は地獄のように感じるのも無理はないと言える。


 豊橋の名誉のために言えば、通えないとはいえ名古屋方面からくるJRや名鉄の電車が高頻度に走っているし、地方都市では珍しく路面電車が存続しているし、地方都市としては公共交通環境はいい方である。駅前も店は何もないというほどではなく、同規模の自治体でももっと悲惨な地方都市は幾らでもある。それゆえに地方の人は反発も激しくなるし、そうであっても首都圏出身者には社会の成り立つルールが違う時点で論外と思われてしまうわけでもある。


 ちなみに言うと多摩センター駅がある多摩市は、人口約15万。高度成長期にニュータウン化したものの、当時に入居した団塊世代が高齢化し、空き家が増えるオールドタウン化の進む典型例の場所だ。都心に通える東京都内とはいえ、首都圏郊外の中でくたびれて細りつつある部類と、地方の中ではそこそこ栄えている部類の地方都市が都市格が一致しているという事実がある。

浮き彫りになる社会分断

 炎上の背景にあるのは日本社会の分断構造だ。かつての日本では、東京の中心部だけが突出した都会で、それ以外はみんなが均質な田舎だった。筆者の地元は神奈川県の湘南地方だが、ここもベッドタウンになったのは昭和末期くらいからだ。東京圏になる前の40年前は、別荘地や漁村の雰囲気を残した片田舎だった。


 一方で、当時は高度成長期で第二次産業が盛んな時期である。1970年の豊橋は人口26万人で、この頃は今は首都圏ベッドタウン化した湘南の中心都市の藤沢市は23万人に到達しない。となりの茅ヶ崎は13万、大和は10万しかなかった。いま、藤沢は44万、茅ケ崎と大和はともに24万に成り上がっている。「東京パワー」のもとで大発展を遂げる前の関東の主要な地域よりも、豊橋の方がはるかに賑わいがあったのだ。その時代はモータリゼーション前であり、田舎の人も電車に乗り、駅前商店街で買い物をし、当然イオンなんてなかった。


 しかし、その後首都圏の膨張が起き、中部地方においては支店経済も盛んな名古屋一点集中の傾向があり、どの大都市にも属さない豊橋は低迷。それが最近の人口減少を招き、シャッター化につながっているのは事実である。特に地方都市の衰退、空洞化が中核市レベルでも進みだしたのはバブル崩壊後の2000年代からのことで、そのあたりから首都圏と地方都市の分断は完全に進んだと言える。そして今の若者は、物心ついたころにはそれ以降の時代しか経験していないのである。
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 私は中部地方に友人が多い。以前、浜松出身の知人の地元を訪ねたことがあるが、休日の昼間でも閑散とした駅前や潰れたデパートが放置された様など、実際に現地で歩き回るとショックを感じたものであった。かたや市内の街はずれの田んぼ地帯には巨大イオンモールがいくつもある。理屈では地方はクルマ社会だとわかっていても、平成の大合併の産物とはいえ政令指定都市でもこれが現実なのかと驚いてしまう。浜松レベルでも平塚駅や本厚木駅よりもダメになっているのである。


 そしてその当地出身の知人女性は、キティちゃんのキラキラサンダルで教室を歩き回るブラジル人3世のギャルの同級生の思い出など「ヤンキー化」の現状についてつらつらと語っていた。銀行マンがもし浜松勤務の経験者だったら、同じことを浜松を例に書いたにちがいないとポストを読んで秒で想像がついたのだ。この地域ではこの街が限界というむなしさ。多様な人が入り交じって社会に多層性があり高度な文化がある「都会」に出るには新幹線で名古屋か東京に出なければいけないという現実に、閉塞感めいたものを感じたのは確かだ。ちなみに静岡市や新潟市、北九州市なども政令市でも人口減少やクルマ社会化、シャッター化、ヤンキー化の傾向にあるという。


 結局その自治体の人口が何万人だとか、新幹線が停まるかどうかとか、政令指定都市かとか、地元に企業がいっぱいあるかとか高いビルがあるかとかを関係なく、大都市と地方都市が根本的に別社会のの別の文明になっている事実をわれわれは認識するべきである。首都圏だったら10万人しかいない多摩市だろうが都心から1時間もする平塚だろうが許容できるものが、地方は仙台・名古屋レベルでないと政令市でも無理になっている。


 それをいくら「都会人のエゴだ」とか「こっちの自治体の方があんたの自治体より立派じゃないか」と叩いても世界が違うという事実は変わりようがないし、(おそらくそのような反論をしたがる人の出身地である)過疎地と比べて豊橋市が栄えているということを豊橋を都会だと認めろと言っても、それは片方の文明しか知らない人の主観の押し付けでしかなく、日本の中には大都市社会と地方社会という二つの異世界が並行して存在しているという確固たる事実の共有もできなければ水掛け論で終わるのである。




 


 



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