北海道新幹線延伸「過疎地に作っても無駄」の間違い
(Wikipedia)
札幌への延伸工事が進められている北海道新幹線。しかし2016年の新函館北斗駅暫定開業当時から、税金の無駄だという批判もある。それが「過疎地に作っても無駄だ」というものだ。
もちろん沿線が過疎地なのは事実である。新函館北斗~札幌間の200km以上の間にある「市」は北斗市と小樽市、終点の札幌市のみ。北斗市は4万都市、小樽市は10万都市でしかない。長年盛岡止まりだった東北新幹線を北に延長し続けた際は、その沿線は盛岡、八戸、青森、ライナーでの接続となる函館と、人口20万規模の自治体が一定間隔あったが、函館の先にはもう中堅都市はないのである。よって沿線に主要な都市がなければ新幹線には誰も乗らないので税金の無駄として大失敗するというのが批判者の発想だ。
しかしこれは間違いである。こういった批判をする人は、新幹線に対する認識が昔の時代で止まっているのである。
現代の新幹線に重要なのは大都市間の輸送需要
なぜこういう風になっているかというと、路線全体で見た最短ルートを走るからだ。北海道新幹線が函館駅に乗り入れず隣町の北斗市に新駅が作られたのも札幌までの最短距離に近づけるためである。そのため、既存路線と無視した場所を走ることが多くなり、新青森駅のように県庁所在地であってももとの代表駅ではなく新駅が採用されるようになっている。
平成以降の新幹線は大都市輸送が主な収入源だ。東海道・山陽新幹線は1992年に最速達の「のぞみ」が設定され、首都圏と名古屋・大阪・福岡の4大都市圏を結んでいる。東北新幹線であれば「はやぶさ」による対仙台需要がドル箱だ。乗客のほとんどは出張者で、都会のない場所は県をまるごとすっ飛ばし、300km運転で大都市のみを結ぶわけである。
札幌は名古屋に次ぐ200万都市である。100万都市の仙台でさえかなりの乗り降りがあるが、北海道新幹線が全線開業すればそれを越える移動需要が全線にわたって起きることになる。大都市のみ移動する人にとって、その途中がひたすら原野だろうが、県庁所在地だろうが関係ない。むしろ沿線が過疎地であればあるほど線路を直線的に引けて騒音問題を気にせず高速運転できるので都合がいいのである。
地方の「辺鄙な新駅」がなぜ便利か
また、大都市以外の沿線の駅についても街はずれに位置して乗り換えもない新駅では不便で儲からないという指摘も間違いである。北海道新幹線札幌延伸の場合、並行在来線の函館本線が「廃線」になるほか、残存する小樽市でも新幹線の停車する新小樽駅は内陸側の別個の場所に建つので、既存の乗り換え駅への乗り入れは長万部駅のみとなる。確かにそれは不便そうに感じる。
しかしこれは地方の現代の移動・生活環境を理解していない首都圏の人間の発想だ。平成以降の地方はクルマ社会が当たり前である。駅の立地する自治体住民も、その近隣市町村の人も、基本的にクルマに乗って新幹線駅にやって来る。先に触れた東北新幹線新青森延伸時の唯一の途中駅の七戸十和田駅がそうだ。立地する七戸町こそマイナーだが、近隣の十和田市や東北町などから行きやすい。沿線地域にはレールバスや十和田観光電鉄といった私鉄があったが利用者の低迷で廃止になっている。仮に新幹線から乗り換えができたとしても、運行本数がわずかであれば利用しようもないので結果は変わらなかっただろう。事実、北海道新幹線に関しても既存開業区間内の奥津軽いまべつ駅で接続する津軽線をめぐり廃線が論じられているさなかだ。
首都圏のわれわれは「最寄り駅からの公共交通を駆使した移動の便」で物事をとらえがちだが、地方ではそうした時代は昭和で終わっている。クルマで新幹線駅に直接乗り付けることを考えれば、新駅が街はずれにあるほど、近隣自治体からも行きやすくなり、接続道路や大型駐車場を整備すれば駅の利用圏は広範囲にわたるのである。田舎では新幹線駅は在来線鉄道駅の延長ではなく空港のような存在と認識されているのだ。逆に古い街の真ん中の既存駅の場合、道路も混雑するほか駐車場の用地も限りがあり、駅所在地の市内住民以外に恩恵が広がらない。
今後北海道新幹線にできる途中駅も、場所は辺鄙でも車で行き来できれば十分なのである。本土の田舎よりも人口密度の低い北海道では、渋滞なども少なく一般道のマイカー移動でもそれなりの長距離のはずがあっという間についてしまう。つまりカバーできる地域が広範囲になるということだ。