新潟県は西日本
(Wikipedia)
新潟県で唯一の重伝建である佐渡島の宿根木地区。江戸時代に畿内から蝦夷地をむすぶ北前船の寄港地として栄えた港町の面影を残す町並みで有名な場所だ。日本の物流は現代こそ陸路が中心だが、道路環境が乏しく鉄道が存在しない江戸時代には、いっぺんに大量の物を運べる水運がロジスティクスの基本だった。島国日本はそこら中が海に面していて、大きな川を伝っていけばどこにでも物を運べたからだ。
そのため佐渡には畿内の文化的影響が目立つ。まず方言の佐渡弁が京言葉の影響が大きい西日本方言だし、京都の清水寺を模した清水寺(清水寺)のような社寺もある。もちろん流罪によって「島流し」にあった貴族たちもいて、離島ながら雅な雰囲気を醸している。
そして北前船は新潟各地に寄港していたわけだから、佐渡が特に顕著に表れているだけで新潟県自体が西向きになる。何しろ地域区分の上越・中越・下越という言葉自体が京目線だ。県外の私たちからみれば「てっぺんの県北部がなぜ下越?」と疑問に思うが、これには京都から見て最も近い西側が上越で、最果ての北側が下越だという事情がある。
かつて京都の祇園に並ぶ花街だったという新潟市の古町では芸子さんの間で京染めが好まれるという。また食文化でも新潟の桜餅は関西式の道明寺タイプで関東でおなじみのクレープ式の長命寺ではない。東日本では全般的に正月のお雑煮の餅は焼くのが普通だが、新潟県では煮るのが当たり前だ。
筆者は神奈川県民だが、両親は東北の出である。関東と東北は、温暖な太平洋型と積雪寒冷地という気候の違い、都会と田舎の違いはあれ、文化圏の連続性があり、社会の一体性を感じる。まぎれもなく同じ東日本なのだ。だが「新潟は東日本」と当たり前のように言われると得体のしれない違和感がある。親戚の集まりに赤の他人が紛れ込んで馴れ馴れしく接してこられるような感覚だ。西日本が嫌いなわけではなく、まったく違うものを無理くり同じにしようとする「同化主義」のぎこちなさへのアレルギー反応があるのだ。
ところが現実には、新潟県民・出身者は若い世代であればあるほど標準語=関東弁を母語として話しているし、ハッキリ言えば東京コンプレックスが強く、当然のように自分たちは「東の側」の人間だと思い込んでいる。そのくせ地元の郷土性には関心が薄く、やましいことを隠すかのような態度に徹し、ひたすら東京の絵の具に染まろうとする。ちなみに東京にいる地方出身者で最も目立つのは新潟からの人だという。
新潟がなぜここまで東を向いてしまったのかというと、戦後昭和の上越新幹線開業が大きいという。新潟市から東京は直線で250km程度と、400km以上離れた京都よりはるかに近い。谷川岳をトンネルでぶち抜き、高速運転する新幹線ができたことでストロー効果的に東京への流出が発生し、いつしか地域性も東の色に染まっていった。ちなみに新潟県を富山県境の境川から下越の山形県境鼠ヶ関まで縦断しても250km、対東京なんて距離的には「県内移動」レベルでしかないために我々には遠くとも彼らにとっては東京と新潟は身近に感じるのである。おまけに東北新幹線における仙台のような大都市は沿線に1つもないので、よりいっそう東京に吸いつくされ、染まるしかなくなるのだ。
懸念すべき福井の東日本化