いよいよ本日、福井県までの延伸開業を果たした北陸新幹線。東京から「北陸の最果て」の福井県敦賀市まで新幹線で行き来できるようになり歓迎ムードに包まれている一方、今もなお北陸新幹線不要論が存在しているのも事実だ。
しかしこうした不要論は一顧だにする価値もない当事者無視の言説である。自分がもし北陸在住・出身者の立場だったらと考えれば、暴論であることに気づけるものだ。なぜ間違っているか。一つ一つ検証してみよう。
「旅情がなくなる」ことは問題ではない
よく聞く批判が、新幹線ができれば旅情が失われるというものだ。これは鉄道マニアや、地方を日常離れした旅先としてしかみなさない人たちの間の発想だ。これまで北陸は日本有数の「特急銀座」と呼ばれる地帯で、2015年の新幹線金沢開業以前であれば、関東・新潟・中京・関西の各方面と北陸を行き来する膨大な特急列車が走り回っていた。
ローカル線の昔ながらの駅舎に滑り込む特急列車の光景に風情があるのもまあわかる。そして新幹線なら窓から景色を追っかけるのも早すぎてついていけないが、在来線なら車窓を楽しむ余裕もあって、日本海の荒涼とした海や山河、古びた家並みを見て駅弁でもつつきながら北陸は素晴らしいと思う旅行者が大勢いたわけである。
しかしそれは地元目線が一切欠如している。地元の人にとっての鉄道はあくまで非日常体験ではなく、現実の日常的な移動手段である。鉄道という交通手段そのものが明治以来「大量高速輸送手段」という特性を持ち発展し続けてきたことを考えても、早くなければ意味がないのだ。新幹線のない時代金沢と東京は早くとも4時間程度かかっていたが、いまでは2時間半を割っている。特急はあまりに遅く使い勝手が悪かった。
また鉄道マニアは、普通列車を含め「国鉄時代の車両の宝庫」だった北陸本線のかつての光景を名残惜しんでいるようだが、裏を返せばそれだけ北陸は鉄道発展に軽視され続けたという土地でもある。これも首都圏に住むわれわれの自分事として考えてほしい。あなたが普段乗る最寄りの通勤電車がオンボロだったらどうだろうか。湘南の私とて東海道線が首都圏の有力路線であるにもかかわらず21世紀になっても国鉄式の車両が走っていたことにあまりに車両更新が遅すぎると思っていたものだ。鉄道車両に思い入れのない大多数派ならなおさらそう思うはずだ。
ちなみに東海道新幹線なら1964年の開業である。太平洋回りで西に向かうルートに比べ日本海周りは60年も遅れたということだ。地元の人にとって北陸区間の新幹線全通は悲願だったことは間違いないだろう。発展を遅らされてきたことを情緒とみなす発想は、地方の人々の思いを軽視する誤った発想そのものだ。
北陸本線が三セクになって何が悪いのか
それから北陸本線が第三セクターに移管されることも鉄道マニアや、「国鉄民営化に反対していたような」政治的な人たちの間で問題視されている。しかしこれも私には意味が分からない。
北海道のように新幹線を作るので在来線を廃止しますというのなら、最寄りの新幹線駅のない人たちが反発したり、地域輸送の面で不便が生じるのだからまあわかる。しかし線路や駅はそのまま三セクに継承され、鉄道の地域輸送が失われるわけではない。
また三セクは県単位で会社が変わるので、鉄道マニアは県境で路線が分断されると批判しているが、実際には三セク同士をまたいで直通運転されており、会社の境界駅で乗り換えを余儀なくされるような不便もない。長年眺めていた路線図の1本の線がバラバラになってしまうことが気に食わないという、マニア特有のフェティッシュな視点でしかない。
福井延伸に限らず、どの整備新幹線でもいえることだが、三セク化で不便になることといえば鉄道マニアが言う「青春18きっぷが使えなくなる」ということくらいである。JR在来線乗り放題の青春18きっぷを用いた乗り鉄たちは、早朝から深夜までローカル線を乗り継いで何百キロも動くような大移動を当たり前にやっているが、それは一般的な鉄道の利用法ではない。今回の延伸で石川、福井に18切符で行けなくなったそうだが、マニア以外からすれば知ったこっちゃないのである。
新幹線のない時代の在来線は膨大な特急が走っており、貨物列車も含めて線路容量がひっ迫していた。特急がいなくなれば普通列車は増発ができるほか、「通過待ち合わせ」の長時間停車がなくなるので増便や所要時間の短縮ができるメリットもある。運営主体が自治体主体の三セクになることで、より地域の利便を優先した路線づくりやサービス向上も期待できる。何も問題はないのである。
筆者は親の出身地が東北地方だが、東北新幹線と並行する東北本線があまりに不便で驚いたこともある。しかし東日本全域を管轄とするJRにとってあくまで重要なのは首都圏の通勤電車、次に新幹線である。東北地方の大幹線である東北本線とて、利用者の少ないどうでもいいローカル線なのだから、あんまり構ってやれなくなるのも無理もないだろう。東北や北陸方面では三セク移管区間の方が、そうならなかったローカル線よりも便利な例はいくらでもあるのだ。
「対大阪が不便になる」はただの東京コンプ
それから関西人の間でよく聞かれるのが、敦賀駅での乗り換えが必要で北陸が遠のいてしまうという声だ。これまで大阪と金沢は特急「サンダーバード」で直通だったが、新幹線と重複する区間が廃止になる。ちなみに金沢開業時にも「富山まで1本で行けなくなる」という声があった。
歴史的には「北前船」の影響で北陸は西日本の文化圏で、西に行くほど東京より大阪が近いので関西圏との経済的結びつきが強かったのは事実だ。しかし北陸中心で考えれば、たまたま最寄りの都会が大阪だったにすぎず、日本の首都で最大都市の東京に早く行けるようになればそっちを選択するのは当然である。
実際、金沢開業後、石川では若者の大学進学や就職先でそれまでの関西志向から東京志向への切り替わりが起きたともいう。また「金沢ブーム」が起きて、首都圏から新幹線でやってくる観光客で潤った。これまで東京から北陸は鉄道ではあまりに遠く飛行機を使うにも割高という距離感から旅行の選択肢には浮かびづらい存在だったが、4000万人が住む一大都市圏が1本でつながることで、中央のカネが北陸に落ちるようになった。福井まで伸びれば、同じことが福井でも起きる可能性がある。
大阪と東京、関西と首都圏では都市規模がケタ外れなので、地元民が都会に出るにしても、都会から観光客を誘致するにしても、東を選んだ方がいいのである。なので対大阪での利便性の喪失を嘆いているのは、おそらくこれまで北陸とつながるウマミを享受していた関西人のみである。そしてそれは大阪人に特有の「在京キー局の独自路線はけしからん」とか「維新に投票して東京中心の政治を変えよう」というような東京コンプレックス、ルサンチマンの産物でしかないのだ。
対大阪が不便になる一方なのは、それだけ大阪の側が自助努力による地域発展をしてこなかったし、北陸間のつながりを維持して高めるための取り組みを怠っていたということだ。筆者の親は東北人で、若い頃には最寄りの都会が東京にしかなかったので二人とも上京し、神奈川県に私が生まれたが、今の東北地方では仙台が百万都市になり、よほど高望みしなければ東京と同レベルの大都市文化がある。仙台自身が東北のハブとしての機能強化に尽力した結果の発展であり、すぐ隣町の山形市以外のすべての県都と新幹線で1本でつながっている現実がある。よっていまの東北には「東京ではなく仙台を選ぶ」ということが一定数ある。
大阪という「大都市」の没落の結果でしかないことを、「東京中心の地方軽視」の図式に無理やり当てはめて、大阪とのつながりが経たれることをあたかも北陸が危惧しているかのようにすり替えようとする言説にはきっぱり反論する必要があるのだ。