(Wiki) これまではどんな田舎の県でも「県庁所在地だけは栄えている」という構図があった。県内すべてが寂れていても県都であれば人口20万はあり、経済的にも活気がいたのが平成時代まで常識だったのだ。
しかし、今世紀に入ってから状況は一変。県庁所在地だろうと人口減少が発生し、中心街はデパートもなくなったシャッター商店街、企業の営業所も整理統合によって撤退しているのでオフィスは空きビルだらけになっている。鳥取、甲府、山口、松江では平成の大合併を経たにもかかわらず、すでに人口20万割れが起きている。
今後の日本では、県庁所在地から県の拠点機能が失われることは明白だ。そこで今後、何を失っていくのかを予想していく。
①銀行
まず考えられるのはメガバンクの閉鎖だ。純然な県都ではないが、人口20万台の「県庁所在地クラスの地方都市」ではすでに撤退が始まっている。みずほ銀行は2020年に福岡県久留米市から、2023年には北海道函館市から撤退している。いずれも札幌市や福岡市に統合されたのである。そうは言っても久留米市なら30万を少し割れた程度の人口規模で、鳥取市などよりははるかに人が住んでいて産業も盛んだ。ここでさえダメなら県都撤退は下から進んでいく可能性は高い。するとみずほが消えれば、ライバルのUFJが消え、大手メガバンクが全滅するのはあっという間だろう。かつてデパートが全滅した流れに似ている。
もちろん地方都市では地元に根を下ろす地方銀行が優位というのも事実だが菅義偉前首相の発言に象徴されるように地銀再編はすでに始まっている。山形の荘内銀行と秋田の北都銀行の合併のニュースが話題になったが、こんな風に隣接する県同士の代表的な銀行が1つになるという流れが生じた時、新しい本店はより優位な県都に移ることは明らかだ。するとメガバンクもなければ地銀も支店しかない県庁所在地が生じるようになる。地銀であっても支店があるだけマシということだ。
②大学
地方都市は少子化・人口減少が進むことで学校の統廃合が進んでいる。ただでさえ大学進学率も低いことを考えれば大学消滅の可能性は極めて高い。すでに鳥取市のように私立大学を失った県庁所在地は存在する。学費の高い私学ほど敬遠され、地方では定員割れも目立つ。
もしも今後、小泉竹中路線のような新自由主義の政権が台頭すれば国立大学のリストラも加速するだろう。すると「大学のない県都」が出てくるようになる。もし大学を失えば、キャンパス周辺は若者を失って活気がなくなるばかりか、医師不足や教員不足などの問題が生じる可能性もある。
③テレビ
他県のテレビに依存する構造はすでに存在する。ちなみに徳島と佐賀は県ローカル局が1つしかないものの、近隣の大都市圏の民放を受信できる環境が従来より当たり前だ。過疎の県である鳥取・島根では両県同士で電波相互乗り入れを行っていて、隣県の民放が地元県に不在のキー局系列をカバーする構造がある。岡山と香川も同様だ。
他方で、高知県は県全体の人口だけで60万人しかいないものの、県域放送が基本となっている。県庁所在地としての高知市の人口は30万とそれなりだが、カバーする県民が少なく、こうした県ほど民放経営は苦境にたたされる。
もちろん民放はキー局でさえテレビ離れで苦しくなっているから、中央の事情で末端をなくすことも出て来るだろう。宮崎、山梨、福井は昔から県内で視聴可能な民放は2局しかない。それでも情報環境が成り立っているわけだから、突き詰めると相互乗り入れ込みでも民放2局という体制になる県も出て来る可能性は大いにある。
ちなみにNHKでは2022年に自主番組制作も行っていた釧路放送局を廃止している。みずほ銀行の函館撤退とともに北海道の「県都クラス」の凋落を印象付ける出来事だが、末端からなくなっていけば、いずれNHKのない県庁所在地が出て来ることも不思議ではない。
④新聞
テレビがダメになれば新聞も難しくなるだろう。銀行と同様、田舎県ほど新聞はローカルが強い。なので読売や朝日もほとんど部数がないので、全国紙の撤退する県は出て来る。全国紙で最も部数の少ない
産経新聞はすでに地方支局の大幅な廃止をし、販売網も関東・関西に特化しつつある。これに毎日が続けば、そのあとは朝日や読売も地方局が駐在扱いするようになっていき、いずれ全国紙の取材拠点も販売拠点もない県庁所在地が出て来るだろう。
ではローカル新聞が安泰かというとそうではない。徳島新聞は2020年時点でも部数20万部を超え、県内普及率は8割以上と日本一を誇る「勝ち組地方紙」であるが、独自の生き残りを模索している。2012年には新聞社として珍しい
社団法人体制に移行。つい先日も編集部門の分社化に抗議するストライキが起きたが、経営側はこのままでは15年で新聞発行ができなくなるとしている。組合側の反発するのも分かるが、地方紙の将来映画徳島新聞でさえ暗いのは事実だろう。
地銀のような近隣県をまたいだ新聞再編が起きるかもしれないが、そうすると地方単位で存在するブロック紙との差別化が難しくなる。私見ではあるが、県紙がそのまま消滅し、地元の新聞購読需要は河北新報や中国新聞のようなブロック紙にもっていかれる流れになる地域も多くなるだろう。
⑤有人駅
JRでは最近、「みどりの窓口」の廃止ラッシュが起きている。東京都心の利用が多い駅でさえ朝夕の通勤ラッシュだけ近隣から駅員をよこして他はインターフォン対応をとる無人駅はすでに出現している。そうした駅に比べれば地方の県庁所在地駅は、利用者数ははるかに低いので、JRの経営合理性を考えれば無駄でしかない。
ただでさえ地方はクルマ社会で鉄道利用者数は少ない。非県庁所在地ならば無人化は相当進んでいて、越後湯沢のように観光客も多い新幹線停車駅でも無人化している例はある。これがありなら、県庁所在地というだけで有人駅にしている状態のほうがおかしいともいえるので、おそらく数年以内にちらほら無人の県都中心駅が出て来る可能性もある。
かつて県庁所在地でも駅員を置いていたのは自動改札の普及が遅れていた名残だ。鳥取や徳島駅はいまだに存在しない。しかし鳥取は2025年に自動化を予定している。自動改札機があるのなら、そのタイミングで駅員をなくしても構わないといえる。
⑥イオンモール
地方で県庁所在地でもシャッター商店街やデパートの閉店が起きた時、少なくない人が「田舎はクルマ社会でロードサイドが買い物の中心だから仕方ない」と言っていたが、そのロードサイドだって人が減れば寂れるのは当然だ。イオンモールが存在しない県庁所在地が出て来ることはおかしくない。
実際問題、クルマ社会の本場のアメリカでは近年「ゴーストモール」が社会問題になっている。イオンモールが手本にしたような国道沿いの大型駐車場付きのモールが客離れで閉鎖しているのだ。コロナ渦でさらに加速したとも聞く。背景にあるのはECの普及で、わざわざ車を出して買い物に行かなくても済むようになったからだ。リアル店舗の在庫には限りがあるが、ECには無限の商品の選択肢がある。ガソリン代も掛からなくて済むし、重たい買い物でも運ぶ面倒もない。
移民国家で人口が増え続け、経済も伸びているアメリカでさえダメなのだ。まして少子高齢化で人が減り、経済が死んでいる地方都市でイオンモールが安泰なわけがない。田舎はネットに疎い人が多かったので実店舗に影響があったが、東日本大震災でSNSがライフラインになったことやコロナ渦のテレワークでその重要性が認識されかなり普及している。今後世代交代が進めば、ロードサイドはシャッター街の二の舞になるだろう。