野党共闘を阻む「民主党」の亡霊
野田佳彦氏、妄言にもほどがある。立憲民主党に投票してきた人間が、今までどんな思いで「鼻をつまんできたか」を全くわかっていない。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) March 24, 2024
自民党や維新に政治をやらせたら、立憲主義も民主主義も壊れると思うから、立憲民主党に投票した人は多いでしょう。なぜ絶望させるのか。https://t.co/vc6etvzMc6 pic.twitter.com/CeJz3b8H3O
時の政権単体の問題なら自民党総裁の首を変えて路線を変えればいい。しかし自民党そのものが組織的に腐りきっているなら政権交代するしか政治の健全化や変化は見込めない。じゃあ今の野党第一党・立憲民主党に変えればいいかというと、まるきり信用できないというのが多くの世論ではないか。
たとえば最近も、立民の最高顧問である野田佳彦元首相が次期衆院選での「維新とのすみわけ」を提唱しリベラルの間で物議をかもした。これは選挙をただの政局ゲームとして考えれば正しい戦略だ。日経新聞の最新の世論調査では衆院選の投票先として自民党が28%、立民が14%、維新は13%となったそうだ。数字だけを見れば、両方足せば27%と自民に拮抗し、政権交代も現実的な視野に入る。
だが小泉政権のようなネオコン政党である維新と、共産党とも連携していた立憲民主党はイデオロギーが真っ向異なるのだから両者に溝があるのは当然である。維新の側も先の党大会で野党第一党を目指す方針を掲げており、立民との協力には否定的だ。
そもそも民主主義国家における政党というものは、思想や主義主張の違いによって分かれ、それぞれが自分たちの正しさを掲げることで党勢拡大を競い合っているもののだ。なので維新支持の保守から見ても野党共闘を呼び掛けてきた左翼から見ても、思想の違う両党をくっつけることはナンセンスである。しかしそういうことをやった方がいいという考えが平気で出てきて、そうした声に党内の支持者がくっついてくるような雰囲気が立民の内部にはあるのだ。
これはかつての民主党に対する未練にほかならない。立民の前身の民主党は綱領を持たない政党だった。その所属議員の多くが旧社会党の流れを汲んだとはいえ小沢一郎氏や政権交代時にトップに立った鳩山由紀夫元首相は自民党出身だ。つまり保革を越えた野合集団だったのだ。なので民主党内には、ネトウヨから神に近い政治家と呼ばれた西村慎吾氏を筆頭に、最近まで立民にいた松原仁元拉致問題担当大臣のような「安倍より右」くらいのスタンスのタカ派政治家だっていた。
SNS上には政局クラスタ的な形で旧民主党支持層は今も存在している。彼らの内輪の論理では次のようなものだ。
「政治を悪くしているのは自民党という既得権益であって、それを変えるには欧米のような二大政党を日本にも定着させ、政権交代をしなければいけない。その目的で一致できるなら極右にも極左にもウイングを広げ、その柔軟性に価値を置かなければいけない」
このような「信仰」は今も続いていて、それが立民を維新や国民民主党とくっつけたがるような流れとなり、泉健太体制下の再保守化をアシストする要因にもなっている。彼らにとっての野党再編のゴールは民主党復活でしかなく、民主党政権で連立を組まず非自民保守を敵に回す共産党は排除したいのである。
民主党神話はなぜ間違いなののか
では民主党信仰は正しかったのだろうか。確かにあのような思惑のもと、民主党は平成の政局政治の中で巨大な党に浮上し一度は政権を奪うことに成功した。しかしたった3年で終わってしまい、党の看板までも失ったのだ。大失敗をしている時点で間違っているのである。
一度失敗したことをなんら反省も学習もせずにまったく同じことを繰り返せば、もっとダメになる。そんなことは子供でも想像がつくことだ。だがそれもわからないのが旧民主党支持層の程度であるから情けない。そんな稚拙な政党に国民世論は付かず、自民党が最悪でも、立民の支持率は上がらないのが現実である。
まず自民党だけが既得権益であるという考えが大間違いだった。いざ民主党に政権を変えても、業界団体や組合・宗教団体が支える構造は変わることなく「族議員」だらけだった。当時原発事故があったが、原子力政策を推進したのはおもには自民党だった一方、民主党内にも電力会社の労働組合の組織候補がいて、彼らが原発推進派として党内の足を引っ張った。東日本大震災直後から脱原発デモが盛んだったが、当時の左が抗議してた対象はもちろん民主党政権である。
次に二大政党を過大評価する考えもおかしい。そもそも民主主義社会において結党・結社は自由である以上、アメリカにも共和党や民主党以外の政党はいくつもあって共産党すらある。ヨーロッパでは主だった政党が2つ以上ある国も珍しくない。ドイツだって昔はキリスト教民主同盟と社民党で二分されていたが平成以降に多党化して久しい。イギリスも保守党と労働党の2強だったものの直近の5首相は全員が保守党で、スコットランド独立問題などで地域政党も活発化するなどやはり多党化の兆しがある。
そもそも政治というのは「国家百年の体系」と言われるように長い目で見て行うものである。徳川家康が作った江戸幕府のシステムが200年以上続いたことは典型だ。ところが理念もなければ思想もない民主党はそれを築く能力がない。その時その時話題の政局に飛びつき、自民党政権のやってることに反対し、考えの移り変わりの激しい大衆世論に迎合しているのだから、小手先の近視眼的な改革しか思い浮かぶことはできず、長い目で見るほど一貫性のない滅茶苦茶な集団になってしまう。
ここまで書いている私自身も左翼ではないし右翼でもないのだが、一定の同じ思想の一貫性がなければそれが正しかろうが悪かろうが長い目で見た統治ビジョンなど描けないと考える。共産党は、多くの国民に支持されなかろうが共産主義を理想として掲げたり、天皇制廃止や自衛隊の反対を訴え続けていることで100年政党の今がある。自民党の右派政治家とつながりの深い「日本会議」だって、全共闘の新左翼に対抗した保守系の学生運動がベースだと言い、ネトウヨもインターネットもない時代から新憲法制定を訴え続けてロビイング活動をし続け、結果安倍政権以降、憲法改正は自民党の大きな課題として今に至っている。
政局が何であれ、その時国民世論の中心的考えがどうであっても、そうしたことと距離があっても迎合することなく独自の旗を掲げなければ、そんな政党には意味がない。イデオロギーのない政党というのは、カレールーのないカレーのようなもので、そこに極右も極左もぶちこんだところでげてものでしかない。自民党がまずいからといって替わりの選択肢になるものでは絶対にないのだ。
安倍一強を支えた右派イデオロギー
かつての自民党は保守政党を標榜しながら、実態はただの利権集団で、支持層の中に保守思想の持ち主はほとんどいなかった。河野洋平元総裁のような護憲派がいて、左翼でなくとも右翼とも距離のある政党だった。それゆえに、小泉改革とかで利権構造が解体されていことで弱体化し瓦解していき、保守の分裂に至った。
そのバラバラになった保守を再編する省庁になったのが安倍元首相だった。それまではネトウヨしか飛びつかなかった歴史問題や近隣国批判を露骨に全面に掲げ、憲法改正を大きな旗印にしてそこに皆が集まったのだ。郵政改革で党を追われた郵政族も、刺客候補だった側も、右派思想の点で一致できたのだ。
野党は今こそ敵から学ぶべきである。自民党はかつてないほど右派イデオロギーを高めた結果安倍一強無敵状態を10年続けることができた。逆にただのネ新自由主義者の菅義偉や、宏池会系で穏健派の岸田と右派色が下がるほど党の土台がぐらつきだし、いまは瓦解寸前のような有様になっている。こうした事実をそのまま自分たちの側に当てはめて対立軸を示すべきである。
アメリカではトランプ前大統領が就任する前、左のトランプとしてバーニー・サンダースが大統領候補に注目された。資本主義が国是のような国で「社会主義者」を自認するという左翼過激派だった。だが民主党候補がヒラリー・クリントンというエスタブリッシュメント丸出しの人間になったため、リベラルも多い既成政治に大変革を求める有権者が失望し、結果右翼過激派のトランプが勝ってしまったのだ。イギリスで労働党の党首だったジェレミー・コービンも社会主義者でネットの若い世代から熱烈な支持があった。
翻って日本では、安倍にせよ小泉にせよ、維新の橋下徹以来のやり口にせよ、ポピュリストは常に保守の側にしかおらず「左のトランプ」枠が不在の状態だ。自民はもちろん旧民主党の流れとも一線を画すような既成政治の常識にとらわれない左派的路線を大々的に掲げないと、世論は振り向くことはないのである。
かつての民主党は中に極右も極左もいたから、党の器そのものは透明化した意味不明な集団だった。立民は枝野幸男前代表をもっととがらせたような人物をトップに置き、共産党と連立を掲げることをいとわず、あらゆるリベラル勢力を連携して糾合しながら政治に失望する無党派多数有権者を分捕るやり方をしなければ次はないのである。本当なら岸田氏が右傾化しきった自民党の後始末に手をこまねいている今がそのチャンスなのだ。