「北陸新幹線なんていらない」はただのエゴ

 

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 先日、福井県まで延伸開業した北陸新幹線。東京と北陸4県がすべてつながったことに、沿線自治体では大きな喜びが沸き起こったことは東京でも大きく報じられた。しかし、こうしたムードに水を差すかのような声がSNSの一部にはある。それが北陸新幹線不要論だ。デメリットがあまりに大きく、高い税金を使って建設するべきではなかったというものである。


 しかしこうした北陸新幹線はいらないという発想は、そのすべてが偏った人たちのエゴでしかない。よく散見される誤った批判を1つ1つ検証したい。

鉄道マニアのエゴイズム

 多いものは鉄道マニアからの批判だ。北陸は特急で十分だったという声がある。鉄道マニアの間では在来線の特急は「花形」扱いで好まれる傾向があり、北陸本線は無数の特急が行き交う日本最後の特急銀座、特急街道だった。大好きなおもちゃを失った気分なわけである。

 だが裏を返せばそれだけ移動需要が旺盛なのに新幹線がなかったということでもある。新幹線とはそもそも在来線の「幹線」のバイパスを意味する言葉だ。かつての東海道線も東北本線も特急だらけだったが、それらは昭和のうちに新幹線が開業したのでほぼ一掃されていた。東海道新幹線が1964年開業である。福井に新幹線ができたのはその60年もあとだったことになる。このような地方格差が放置されていたことの方が問題だったというのが実情だ。

 また鉄道マニアが北陸は特急で十分と考えるのには特急「はくたか」の存在もあった。北陸と関東方面を結ぶ列車で、途中にほくほく線という第三セクター運営のバイパス路線を通り最高時速160kmという在来線最速のスピードを誇っていた列車である。山陰にも三セク新線を走る高速特急があるが、特急はくたかほど速くはない。

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 しかしそうはいっても在来線である限り時間はかかった。東京~金沢間が特急はくたかで4時間だったところ、新幹線では2時間半である。福井までならとても遠かったので最初から選択肢にならず、東海道新幹線で米原から回り込む「しらさぎ」ルートが一般的だったのだ。


 日本中の特急を知り尽くした鉄道マニアからすれば、他地方と比べて相当恵まれている特急はくたかなので十分というところなのだろうが、地元民からすればそれでも遅いのは事実だった。どう考えても特急しかなかった時代の移動は不便だったはずだ。


 ほかにも鉄道マニアの間で北陸本線が三セクになってしまうことを問題視する風潮がある。ようは青春18きっぷが使えなくなるということだ。「乗り鉄」にとって安い切符で長距離移動できる青春18きっぷは欠かせない手段だが、県ごとの三セクでバラされてしまえば、この切符で北陸に行ったり、北陸を介して関西方面やそれ以遠の長旅をすることができなくなる。


 しかし線路がなくなるわけではない。看板が変わるだけである。地元民からすれば電車に乗れるんであれば運行会社がJRだろうが三セクだろうが関係ないし、鈍行に乗るニーズなんて地域輸送に限られている。18きっぷの存在自体知らない人が大半だろう。


 ちなみに三セクになるとサービスが低下するという声もあるがそれも間違いだ。県境で会社が変わろうが三セク同士での直通運転はされているし、特急を廃止したおかげで線路容量に空きができたので、普通列車の増発や、特急通過待ちがなくなることによる所要時間の短縮などができるようになった。地域の足が細るというよりはむしろ逆で、旧国鉄やJR時代には北陸とその外部を結ぶことに特化していたものが、これからは地域特化の路線経営ができるようになって便利になるというのが事実である。


 鉄道マニアたちはみな北陸圏外(多くはおそらく首都圏)に住んでいて、地元の日常的な交通環境と、遊びに遠出する非日常としての北陸を切り分けてとらえているのだろう。そのため不便さに気づかなかったり、不便も鉄道趣味の楽しみの1つに思えてしまうのである。しかし北陸の人にとっては北陸本線こそが日常のメイン路線である。テーマパークのアトラクションではないのだ。

関西人のエゴイズム


 それから関西人の間では、大阪と北陸を結ぶ特急「サンダーバード」が敦賀駅で分断され、新幹線の乗り換えが強いられることを理由とした反対論もあった。東京方面の行き来は便利になっても、対関西は不便になるのはけしからんということだ。

 だがこれもエゴである。たしかにこれまで北陸と関西の間は人流も経済的な結びつきも対関東よりずっと比重が大きかったのは事実だ。しかしそれは新幹線が存在しない以上、距離の近い関西の方が早く行けたというだけの話である。北陸からすればたまたま最寄りの大都市が大阪だっただけのことで、首都で最大都市でより魅力的な大都市の東京と繋がれた方が良いにきまっているのである。

 ちなみに特急はくたか時代は東京に出る際に越後湯沢駅で上越新幹線と接続する必要があった。関西人が面倒だと言う特急乗り換えを、北陸の人は東京に行くのに何十年も強いられ続けていたのである。そういうことへ理解や想像が及ばないのなら、それはただのエゴでしかないのだ。

 ちなみに2015年に金沢延伸開業があった時には、サンダーバードは金沢止まりとなり富山方面への運行は打ち切られた。だが当時は富山の人が大阪に出るのに不便になると言うような意見が一部にはあっても、関西からの不満の声はほとんど盛り上がらなかった。これは関西人の認識する北陸が、隣接して最も身近な福井か、最大都市の金沢しかなかったからではないか。

 サンダーバードが直通できなくなることが不便だというのなら当時から声を上げればよかったのに、自分の地元と自部にとって関連性のある地域が行きやすければよく、そうでなければ新幹線は要らないというのは、あまりにも都合の良すぎる発想なのだ。この手の関西人ほど「このままでは東京中心が助長される」と批判したがるものだが、彼ら自身の関西中心主義こそ問題なのだ。

北陸新幹線は要らないわけがない

 新幹線は国土全体の移動の軸として整備されるものだ。当たり前だが本当に必要のない新幹線は作られない。四国や山陰に新幹線がないのはそのためだ。北陸新幹線の経路は東京から関西を日本海側から回り込んで結ぶ重要な経路を成している。いわゆる「リダンダンシー」である。


 もし東海地震や有事が起きて東海道新幹線が長期間不通になった時、関西と東京を結ぶ重要な迂回ルートとして機能を発揮するのである。現に金沢止まりだったこの数年間でさえ迂回路に使う人が増えて話題になっていた。敦賀まで線路がつながった今後は、より多くの人を救う移動手段としてその価値を発揮するはずである。その必要性があるから、膨大な税金を使ってでもフル規格でここまでつないだのである。


 そう考えると、普段北陸と疎遠のわれわれにとっても、この新幹線が重要な存在だとわかるはずだ。不要論は完全に間違っているのだ。


 



 


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