西日本人を先住民族認定したらいいのではないか
(Wiki)
日本の少数民族といえば北海道のアイヌとかつて琉球王国だった沖縄の人々をイメージするだろう。しかし日本政府が正式に認定する先住民族は北海道のアイヌのみだという。国連は琉球先住民を認め、権利保障をするよう繰り返し勧告を行っているが、政府はいまだに認めずにいる。背後には沖縄差別を正当化する右派政治家とそれを支持する右派世論の存在が見え隠れする。
沖縄ヘイトの中心地は大阪である。2016年には大阪府警から沖縄に派遣された機動隊員が市民に対して「土人」と発言した事件があった。それだけでも大ごとだが、松井一郎大阪府知事(当時)が機動隊員を擁護したことで、沖縄メディアの大バッシングを浴びることとなった。同じ年の1月には、大阪ローカルのテレビ番組に沖縄人を愚弄する発言があったとして奈良に住む県出身者がBPOに審議を申し立てたこともあった。前年にも大阪の人気放送作家が沖縄の2つの新聞社をつぶさないといけないと発言し、言論弾圧の発想だと問題視された。
古くは1903年、大阪で開かれた博覧会で沖縄県出身者が台湾やインドの先住民族らとともに「七種の土人」として見世物にされる人類館事件があった。大阪のとなりの兵庫で2005年に起きた福知山線の脱線事故の犠牲者の中に、沖縄にルーツを持ちながら本土式に苗字の読みを変えた人がいたことも注目された。兵庫を含めた阪神圏では戦前から工業地帯の労働力として多くの沖縄県出身者が移住してきた。大阪市大正区には4人に1人が沖縄にルーツを持つとされるリトル沖縄が形成されているが、これは「琉球人お断り」で不動産屋に入居を断られるのが当たり前だった時代に近親者同志で住める場所に集まるうちに1つの街ができあがったという背景がある。コリアタウンにも言えることだが、特定の集住地域が生まれる背景には必ず差別があるのだ。
園児に「ニッポン民族」と言わす森友学園、教育と洗脳の線引きを考えてしまう… pic.twitter.com/BsdTNyjj7u
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) February 27, 2017
沖縄ヘイトが相次いだ後、安倍政権を揺るがす問題になった森友学園もその場所は大阪だった。この学園をめぐっては教育勅語を子どもに暗唱させるような奇抜すぎる教育法が盛んに伝えられ、その中には「日本民族」と言わせるようなものもあった。要するに日本国は「神の国」の単一民族であるという刷り込みだ。ちなみに森友学園には大阪の保守政治家や大阪ローカルテレビ番組でおなじみの地元右派文化人・論客の多くが訪れ講演会を行っていたことも明るみになった。
琉球を先住民族と頑なに認めない沖縄差別は、日本は単一の日本民族国家であるという神話と混然一体のものである。だったら私はこう主張したい。西日本人も先住民族認定したらいいのではないかと。そうすれば、すべてがすっきりするのである。右翼は特定の民族に権利を与えることを「特権」とはき違えるものだから物事が進まない。だったら自分たちも先住民族として明確に認めてもらえばいいのではないか。
じつは先住民族の定義に合致する西日本人
(Wiki)国連では先住民族を「植民国家による領有以前からその土地に居住していた人々」と規定する。だったら西日本人は先住民族だろう。植民国家である大日本帝国政府は東京を首都として明治維新に樹立した江戸幕府の継承国である。幕府とはつまり武家政権のことだが、その起こりは鎌倉幕府である。鎌倉も江戸も関東であり東国だ。江戸時代は幕藩体制だったので地域主権があった。じっさい薩英戦争や下関戦争は幕府の存在をすっとばして薩摩藩や長州藩と言った西日本の諸藩が欧米諸国と戦争を繰り広げたものだ。つまり明治以降の西日本は関東に位置する権力に征服された状態といえる。
また先住民族に重要な要素が言語だ。いま私たちが話す日本語つまり標準語とは、江戸の上級武士が話した「山の手言葉」がベースになって、それを明治政府が国語教育で広めたものだ。これは東京語による地域言語の征服といえる。西日本には関西から中四国・九州にかけて「西日本方言」という一体的な言語体系があったが、それを否定したものだ。今でこそ我々は標準語を当たり前に話すが、標準語のない時代は外国語同然で、薩摩藩士の大山巌は妻捨松とのコミュニケーションに英会話を用いたというほどだ。それくらい東西の言語の分断は大きかったのだ。
文化の上でも東西の違いは大きい。和食の代表格と言えば寿司だが、私たちが今一般に認識するのは江戸前握り寿司で元は関東ローカルのファストフードだった。古来からの関西の伝統的な寿司は「なれ寿司」という魚と米を漬け込んで熟成させた発酵食品で、現代人は誰がどう見てもそれを一目で寿司とは認識できるものではない。ちなみに西日本には「かんぴょう巻き」は存在しないので、見たこともなければ味も想像もつかないという人がいまでも多いという。
(Wiki)先住民族を構成する大きな要素である宗教的な面でも西日本は違いがある。西日本は浄土真宗の宗派が圧倒的に多い。たとえば広島の盆灯篭と呼ばれるカラフルな飾りをお盆の墓地に備える風習は、関東の我々から見ると珍しい光景だ。東日本ではどこか特定の宗派が強いということはない。しいていえば鎌倉仏教の影響で曹洞宗などの禅宗系が優勢の傾向があるが、これはあくまで東の宗教なのである。
もっと言えば人の見た目だって違う。古来より東の縄文人、西の渡来人と言っていたが、東側は徳川家康のようなズングリムックリしたタヌキっぽい人が多く、それに対して西日本は一重のキツネ目でスタイルはすらっとしたような感じで、どう考えても中国大陸や朝鮮半島の影響が大きい。他人に対してオープンマインドでよく言えば情に厚く、悪く言えばすぐ手が出たりけんかっ早い。
このように考えれば「先住民族としての西日本人」の像が浮き立って見えてくる。筆者の両親は北海道と東北地方出身で、私自身は首都圏に生まれ育った人間なので、西日本と中央の文化・常識に乖離があることをよく理解できるが、東京に来たことががめったにない西日本人や、逆に関西方面に疎遠の東側の人々は、そうした違いを知ることなく自分の知る常識が日本人全体の常識だと勝手に思い込んだまま大人になるため、異文化としての西日本人というものを理解できづらくなるのである。
嘘の単一民族を卒業し、日本は多文化国家をめざせ
こういうことを言うと「もともと関西に朝廷があったのだから、こっちを少数民族のように扱うのはナンセンスだ」と西日本人に言われそうだが、それは間違いではないか。いま我々が認識する「日本的なるもの」の殆どは明治以降に東京の論理で平準化されたものであるし、伝統風習であっても江戸時代やせいぜい鎌倉時代以降に定着したものばかりである。和室の床に畳を敷き詰めるようになったのも鎌倉時代の武家屋敷のスタイルが始まりで、それ以前は板張りの暮らしだった。
たとえばアメリカはイングランド人が移住して開拓し、独立戦争を起こして独立した国家だが、今のアメリカ人がイギリスに行ってもそこが母国のように感じることはない。野球やアップルパイ、星条旗はイングランド系アメリカ人の象徴的な文化である。北アメリカ大陸で200年以上独自に培った「アメリカの伝統」とイギリスの伝統は乖離する。何しろイギリスの伝統とされるもの自体が近代の産物だらけであるということが『創られた伝統』(エリック・ホブズボーム著)という本に詳しく書いてある。
そしてアメリカは白人主流の国家だが、白人人口を占める最大多数派はイングランド系ではなくドイツ系である。右翼が熱烈支持してきたトランプ前大統領もドイツ系アメリカ人である。イングランド系は全人種で見てもドイツ系、アフリカ系、アイルランド系に次ぐ4番手の「少数民族」なのだ。
日本のすぐ隣の多民族国家の台湾では、戦後外省人と呼ばれる中国大陸出身者が政権を掌握し、経済的にも支配的立場に君臨して台湾文化の中国化を図ったことがある。のちに多数派の本省人による民主主義政権に移行したことで、こうした単一化に歯止めがかかったほか、ないがしろにされていた先住民文化の権利向上の取り組みも日本よりはるかに進むようになった。人口では外省人も当然少ないのだが、だからといってこっちが支配者だったのだから小さく扱うなという論理は、いまさら台湾では通用しないだろう。私には外省人の位置づけが、さっきの西日本人と重なって見える。
日本政府は、先述したようにアイヌでさえ平成になるまで少数民族認定をしなかったが、単一の「日本民族」であるという右翼の主張も明確に否定してこなかった。うやむやにすることでやり過ごしてきたのだ。しかしこの不可逆的流れであるグローバル時代には通用しないだろう。なばら西日本人を先住民族認定し、アイヌ人や琉球人、西日本人を複合する価値多元国として日本国を再定義するべきだ。もちろんその枠組みの中に、小笠原諸島のアメリカ系日本人や、外国から帰化した日本人や外国出身者の子孫も含めるのだ。