新宿は「多様性のまち」になれずに没落した

  新宿区の「排除ベンチ」をめぐりネット上で炎上が起きている。公園や道路上に区が設置したベンチがあまりにへんてこな座りづらいものばかりでひどいというものだ。それに対し、吉住健一区長が写真付きで反論をツイートすると、その写真に出てくるベンチがそもそも一目で見て椅子とわからないようなシロモノばかりで火に油を注ぐ自体になってしまった。


 神奈川県民のわれわれにとって新宿は小田急線や湘南新宿ラインの大ターミナルで馴染みの場所だ。しかしたまに新宿に行くたびに、その街のつくりに疑問を感じるのも事実だった。新宿駅構内・周辺も、とにかくベンチが少ない。ゴミ箱もない。トイレもないのである。一休みするためだけにわざわざカフェに入って飲み物を買う必要があるが、その店内にさえ椅子がなかったりするのだ。これは今に始まったことではない。34歳の私が物心ついたころにはその兆しがあったので、平成の「失われた30年」でおかしくなった結果だと思う。あまりに異常さが際立って今炎上しているということだ。


 とにかくこの街は区として「よそから人が集まり憩う」ということを歓迎しないのだということは、排除ベンチを肯定する行政の長の強いメッセージからも分かる。ベンチは豊かで多様性ある社会に欠かせないものだ。ホームレスにとっては生き死ににかかわる寝床であるし、そうではなくても超高齢化国家日本。大勢いて今後も増える高齢者にとっては貴重なひと休みの場だ。あるいはその逆に小さい子ども連れ、妊婦にとってもベンチは欠かせない。もし誰かがケガをしたり倒れた時は、ベンチに寝かせて応急処置をする役割もある。

 そういうあらゆる人たちが生きていくために欠かせないインフラが、ベンチである。つまりベンチがたくあんあり、なるべく居心地よく設計された街であるほど多様性に対する配慮に富んでおり、外に開かれた街であり、何よりあらゆる人の命を大切にする街だということになる。


 その逆が、いまの新宿なのである。そしてそれは新宿が没落している実情とも一致するのではないだろうか。

人は大勢いるのに街は死んでいる新宿

(Wiki)

 ここ近年の傾向として新宿は街の低迷が否めない。筆者は新宿でよくデートをしたりするのだが、東口の路地を歩くたびに「こんなにスカスカな街だったかな」と驚くのである。以前に比べ明らかに空き店舗が増えているのだ。これは大型店でもそう。数年前まで大ガード付近にはヤマダ電機(上の画像の右側のビル)があったが、立派なビルを新築したのにわずか10年で店じまいをしてしまった。元三越のビックロもやはり10年での閉店となった。

 それどころか駅前のシンボルでもあったアルタさえ閉館することがニュースになったばかりだ。これは渋谷で言えば109が潰れるくらいのショックである。目で見えて「街が空洞化している」のである。もちろん再開発も進んでいるものの、新たなシンボルとして話題になった歌舞伎町タワーも開業当初は賑わったものの1年経たずガラガラになっているという。今新宿では西口駅ビルの大規模再開発が進められているが、既存の再開発施設さえこのありさまで、大失敗して街が死ぬんじゃないかという危惧が私にはある。

 言うまでもないが新宿は都庁を有する東京のど真ん中の特別区であり、決して田舎ではない。新宿駅の利用者数は1日350万人とギネス認定の世界一を誇っている。毎日、横浜市民の人口に匹敵する行き来があるのである。だから過疎化して衰退した地方都市がシャッターアーケードになるのとはワケが違う。これほど大勢の人が集まっているのに街が空洞化しているのなら、それは街自体に魅力がなくなっているということだ。

 実際、東京を取り上げる海外のテレビなんかを見ると、バーンと出てくる場面は渋谷駅のスクランブル交差点であり新宿駅ではない。最も利用者が多い駅で、一番大きい繁華街のはずなのに、新宿は格下の渋谷よりも存在感が薄い。新宿には田舎と東京を結ぶ大量の高速バスが発着する「バスタ新宿」があるのに、田舎出身の若者たちも上京すると新宿はただ降りるだけでみんな渋谷を目指すものだ。

 新宿区民やゆかりのある人には申し訳ないが、いまの新宿は戦後最も町が死んでいるどん底状態なのではないかと思うのだ。

新宿の独自性である「多様性」を行政が活かせていない

(Wiki)

 人が集まると求められる需要もだいたい同じになるので大きいターミナル駅の繁華街の雰囲気はどこも似たり寄ったりになりがちだ。かつては郊外を結ぶ鉄道の終着駅が決まっていたので、「埼玉の人は池袋に集まる」とか首都圏の方面ごとに目指す街も違っていた。しかし今世紀に湘南新宿ラインや地下鉄副都心線などの直通運転が当たり前になったら、どの方面からでも渋谷も新宿も池袋も、もちろん東京駅にも行けるようになった。かくしてただ大きいだけではなくその街の独自価値を示せないと埋没するようになってしまった。それが新宿の没落の理由ではないか。

 では新宿のほかにない独自価値は何か。私はそれは多様性だったのではないかと考える。例えば新宿二丁目は世界的なゲイ・タウンであるし、職安通りは日本最大級のコリアタウンが広がっている。歴史的には西口地下通路が団塊世代の学生運動の聖地だったこともある。サブカル文化人に愛されたゴールデン街の飲み屋街などもあって、リベラルなカルチャーが盛んになる土壌があった。新宿駅ビルのルミネには反戦を掲げる喫茶店もある。

 だがそうしたリベラルな地域性を、まちの方向性として昇華することはできなかったんじゃないかと。それが行政だ。新宿は自民党系の吉住区長が多選を繰り返しており、いまの世田谷区や杉並区のような革新自治体ではない。たとえば世田谷では社民党出身の保坂展人区長のもとで、反対論の根強かった下北沢駅再開発の見直しに取り組み、いまのような下北沢の雰囲気や文化を反映した線路街をつくった。もし世田谷区長が保守ならば、大資本の都合ありきで大規模なビルを建てて終わりで、下北沢はどこにでもあるつまらない街になったはずである。杉並も、岸本聡子区のもと市民対話を重視した独自のまちづくりを模索している。

 ところが新宿は保守系区長が当選し続けた。なのでこの街は大規模再開発にばかりかまけ、ベンチもなければ多文化政策に突出したわけでもないいびつな街になっていったというわけではないか。他にもたとえばコリアタウンや新宿駅前では在日コリアン排斥を掲げるヘイトスピーチ・デモが繰り返されたことがあったが、区としてデモを許可しないとか、差別反対のメッセージを発信したことは一度もなかった。

 私の地元の神奈川県の場合、同様にヘイトスピーチが盛んだったコリアタウンのある川崎市では、保守派を含めた地域の人々が連携して差別追放のための取り組みを積極的に行い、全国初の刑事罰のついたヘイトスピーチ条例を制定し、いまでは大規模デモはほとんど来なくなっている。どの自治体でも差別はあってはいけないことだが、「本丸」だった新宿区で反差別の街づくりが行われず、他自治体に先を越されている実態がある。

 ネトウヨの間では「多様性より再開発」が経済合理性であると考える発想がある。世の中はカネがすべてなんだから、まちづくりは少数派の一部の人たちを優先するんではなく、大資本の商売に都合がいいようにすればいいということだ。しかし実際には再開発施設は閑古鳥であるし、全国チェーンの旗艦店さえ儲からないから逃げていくのが新宿のリアルだ。

(Wiki)

 筆者は数年前にカナダに住んでいたことがある。下宿先の西海岸最大都市・バンクーバー市にはデイビーストリートというゲイ・タウンがありそこでは横断歩道さえレインボーカラーに舗装され、常時レインボーフラッグが掲げられていた。カナダを代表するプライド・パレードの開催する場所でもある。

 カナダはアメリカ以上にリベラルな国で、バンクーバーはそのもっとも進んだ都市でもある。道路を整備・管理する行政までひっくるめたまち全体が多様性を推奨しているということを一目で見て感じ取れた。私は異性愛者であるが、それに比べると、日本は新宿でさえゲイに冷たいようにも感じる。いまや都内13区に広がったパートナーシップ制度も新宿区にはいまだなく区議会で否決されてしまったし、区として多様性のまちづくりをやろうという方向性が見当たらない。

 もし仮に、新宿二丁目の区道が虹色の綺麗な道が広がり、常に旗が掲げられていれば、それだけでも映えるだろうし、LGBTQ当事者はもちろんリベラルな若い外国人観光客が「新宿に面白い街がある」と気づいて集まったことだろう。そこに多様な性の当事者が安心して憩える公園や公共施設なんかがあったり、官民共同でゲイパレードやフィスティバルをやろうものなら、それだけで新宿は渋谷と並ぶかそれ以上の街になる。
(Wiki)

 世界の都市には、行政が積極的に多様性を推奨するまちが幾らでもある。そういう場所には、マイノリティ当事者の利益になるだけでなく、より自由な創造表現をしたがるアーティストが集まるようになり、アートや音楽をはじめとするクリエイティブが盛んとなって世界的な文化発信基地になったりもする。オーストラリアのメルボルンなんかもそういう都市だ。そこに独自性があるからこそ、全国から全世界から人が集まり活気にあふれるわけである。

 いくら欧米先進国がリベラルだといっても無骨なオフィスだけが並びスーツ姿の中年男性だけが行き交う「経済ありきの街」には面白みがない。それはバンクーバーも同じだった。なんならコロナ渦を経てオフィス離れが進んでいるので、そういう場所は最近のサンフランシスコみたいに荒廃する恐れすらある。まだ人通りがあるだけマシで、人さえいなくなれば治安は悪化し、まちは本格的に死んでしまうのである。






 

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