東京の衰退
街路樹も貧弱で木陰は無い、ゴミ箱もあまりない。新聞スタンド、ジェラートカーもない。
— Choc-Cacao (@chocacao9) April 14, 2024
銀座の没落についてX(旧Twitter) で話題になっている。かつての銀座はニューヨークで言う五番街、パリのシャンゼリゼ通りに相当する日本でもっと高級な街で、晴れ着をまとってピリッとした気分で闊歩する場所だった。
しかし平成の長期不況でデパートなどが潰れ、入れ替わるようにファストファッションの街になり、ドン・キホーテやOKストアさえ進出するただの全国チェーンの集まりになった。外国人観光客たちはドンキをひやかすついでに「円安でお得」になった残骸同然のブランドショップで買いあさりを楽しみ、地べたに座り込むわけである。
東京一極集中と呼ばれて久しい。東京の繁華街は大勢の人でごった返し、再開発も際限なく続けられている。しかし街としての東京は死んでいるも同然といえるだろう。その体たらくはイオンモールの中だけ賑わっているが自治体としては死滅した田舎の県庁所在地と何も変わらないのではないだろうか。
こういう現象は東京のあらゆる繁華街にいえる。かつて若者の街と呼ばれ、最先端のファッションや音楽を発信した渋谷センター街。家電製品とオタクグッズの店のみが軒を連ねた秋葉原電気街も、2000年代に入ってからおしならべてドンキだのヤマダ電機だのファスト風土の全国チェーンだらけになり、独自性を失った。いまは外国人観光客でにぎわいを持続しているが、私たちにはすっかり見慣れたただのコンクリートジャングルが、彼らの目には異国の風景として面白く映っているだけなのである。
首都圏民はなぜ都心に行かなくなったのか
(Wiki)だがそういう価値は全国チェーンの氾濫によって消えることになる。かつて秋葉原は、ほかに多くの家電製品を見比べて購入できる場所がないために成り立っていたが、ヤマダ電機などの郊外店の進出で独自性はなくなった。地元市内でクルマで来店して商品を持ち帰れるヤマダ電機のほうが都合がいいに決まっているのだ。それでも秋葉原にはヨドバシカメラの巨大店舗がオープンしたことで、箱の大きさでその辺の郊外家電店を圧倒したが、その後ヨドバシは三越の居ぬきで横浜にも進出したし、ビックカメラなら藤沢駅前の丸井跡にある。すると秋葉原のヨドバシの価値すら喪失したのだ。
湘南出身の筆者が子どもの頃は、まとまった大きな買い物をするときはこうだった。まず市内の駅前に出て、それでもなければ湘南地域で最大の藤沢の中心街に出る。藤沢にもないなら県都の横浜に出て、そこにないものは東京で求めたのだ。藤沢のビックカメラの上にはジュンク堂書店があるが、かつては「大きい本屋」に行くにも新宿の紀伊国屋書店や東京駅の八重洲ブックセンターに行っていた。
そのように「より優位な街を選ぶ連鎖」構造が三浦半島でも、県央でもあった。埼玉県民なら地域の中心市がダメなら大宮駅前に集まったし、千葉県民なら千葉駅に行き、それでもだめなときに東京に渡ってきた。しかし東京の街に行かなければいけない用事が首都圏全体で消えたわけだ。すると東京の街は、近隣の都区部住民が集まることありきになってしまう。
おまけに新宿も渋谷も秋葉原も銀座も実質全国チェーンの集まりでしかないなら、東京の中でも非常に限定的な近隣区民だけが行く街になり、そこにインバウンドをかぶせることで賑わいを保ちながら、まちとしては死ぬということである。
独自価値を生み出せなければ街は死ぬ
(Wiki)
先述したようにただの経済合理性だけを突き詰めれば、つまり「全国チェーン的なものの集まり」とすれば、横浜駅に買い出しに行く時代はとっくに終わっているが、それでも街が死なずに済んだのはそういうことだ。東京に必要だったことは、横浜のように街の独自性の核の部分を重視しながら、人々がそれに惹かれて自然と集まりたがり滞留したがる空間を作ることだったのではないか。それができなかったため、東京はあの惨状になったのだ。