リベラル・左翼は「日本が滅びる病」を克服せよ!
(Wikipedia)
2011年の福島第一原発事故以降、日本では左派勢力の再活発化が起きている。SNSの呼びかけによって集まった市民により国会前で繰り返された「安倍政権打倒デモ」の賑わいはその最たるものだった。
しかしながら、左が野党共闘をいくら訴えても、国政において革新政党が保守に拮抗することは一度もなかった。岸田政権になって自民党一強構造が瓦解しつつある今でさえ、左翼党の躍進は起きていない。つまり左が多数派国民に支持されていない事実があるのだ。
筆者もリベラルの一人として憂慮している。なぜそうなっているのか。思い当たる節は様々あるが、やはり左の傾向として日本国崩壊の不安を煽る言説に飛びつき、騒ぎたがることが国民のヒンシュクを買っているのではないかと思う。それはまるでオオカミ少年のようだ。
原発事故もコロナ渦も円安も「日本は滅びない」
実際はどうだったか。確かに事故直後は放射能の問題はあったにせよ、2024年現在、原発周辺自治体でも「帰還困難区域」の解除は進む。もちろんすべてが完全に事故前に戻ったわけではないが、福島県から人が住めなくなるとか、まして放射能で日本が滅びるかのような、当初煽られた過剰な不安を裏切る現実があるのだ。
このような現実を逸脱した不安を煽って耳目を引きたがる論法は、2020年の新型コロナウイルスの蔓延時にもみられた。ダイヤモンド・プリンセス号事件が起きた時、左は欧米社会は日本の感染状況を憂慮しているとか、このまま日本国内にのみ感染が広がって国が滅びるかのような言説を繰り広げていた。
当時筆者は当時カナダ在住だったので、日本社会の空気感までは理解できなかったが、その代わり欧米社会のリアルと日本のずれを皮膚感覚で知ることができた。実際には、その後の感染拡大は欧米の方が顕著に進み、ロックダウンを繰り返したり、ニューヨークなんか医療崩壊が起きて都市機能不全のような状況に陥ってしまった。
その間日本の左派はどんなに欧米が悲惨になろうが「欧米はうまく行っているが、日本は失敗していて、感染拡大で国が滅ぶ」という謎の教条主義に固執し続けた。現地ですさまじい感染者や死者が出て、それを受けて当局が対応策をとったとき、日本の左派はその前段階を無視し、なぜ日本の行政は同じ取り組みをしないのかと訴え続けた。アメリカ在住だという出羽の守がニューヨークのクオモ元知事を礼賛し、そのクオモ氏がセクハラで辞任をしてもだんまりを決め込んだりなど、左翼村の外から見れば到底共感も理解もされない姿勢が目立ったりもした。
(Wiki)
コロナがひと段落した今、左は円安問題で同じことを繰り返している。このまま放置すれば1ドル300円になるとか、日本経済がこのまま発展途上国並みに没落して国が崩壊するとか、過剰に煽り続けている。私から言わせれば原発やコロナの「日本崩壊願望」をそのまま円安に当てはめているだけにしか思えないのである。
ちなみに筆者が住んだカナダは日本に比べて飛び切り豊かだったという印象は正直ない。給料も高いが物価も高く、まとめ買いをして切り詰めて暮らす人が多かった。場末の小さなボロ家でも「億」単位が当たり前。若者はアパートさえ借りれずシェアハウスである。現地でも、タワマンの上に住んでテスラを乗り回すような富裕層は一握りである。
欧米には欧米の経済問題がある。なので左派が言うように、デフレを脱却させ、民主党政権の1ドル70円台の円高にすればバラ色になるというのも間違いとしか思えないのだ。今すべきことは、暗い話と不幸を煽ることではなく、冷静に円安問題の本質を見極めた上、その軌道修正策の建設的な提案をすることである。今後もし解散選挙があったとして、これができる側に軍配が上がると思うが、左派がこの体たらくではまた自民がギリギリで勝ち抜くだろう。
崩壊願望にとらわれるのはオウム真理教と同じ
私には「日本が滅びる病」の左が、このオウムと変わらないように感じる。ノストラダムスの予言では1999年7月に人類が滅亡するとあったが、実際はこのように私もあなたも21世紀を生きている。不安を煽ることが「刺さる」人は一定数いるが、それはカルトにのめりこむような一部のそして極端な人たちにすぎず、当時大多数の国民はオウムの主張を真に受けることなく胡散臭い、怪しいと事件前からずっと敬遠したり冷笑していたのが事実だ。幼稚園児だった私でさえそうだった。
この10年ちょっとを振り返ってほしい。原発事故でもコロナ渦でも日本は滅びなかった。そして今ある円安問題でもそりゃ滅びるはずがないだろう。しかし左は、きっとこの「滅びなかった事実」と向き合うことなく、また次のトレンドに飛びつき、この問題の対応に日本はうまくっていない、このままでは日本国は崩壊すると言い続けるだろう。
普通に考えてほしい。国家はそう簡単には滅びるものではない。あの貧しい軍国主義の国の北朝鮮だって80年近く続いている。戦前の大日本帝国が滅んだのは、国全土が焼け野原になり原爆を2つも落とされたからであり、それくらいのよほど激しいショックがなければ日本は続くのである。
ちなみにオウム教団ができたのは1987年、選挙に出て物議になったのは90年である。オウムというと平成不況とダブって記憶している人が多いが、拡大当時はバブル経済の絶頂期で、日本人が史上もっとも豊かだったころだ。それでも崩壊の不安を煽って刺さる人が一定数いたのであそこまで巨大化したわけである。
失われた30年や人口減少で刺さりやすくなる人が増えてしまったものの、日本崩壊論とはほんらい国の社会状況を問わず極端な人にしかリーチできない、その程度の言説なのだ。
負の幻想を脱却して権力を築いた右派勢力
リベラルは右がなぜ勝っていたかを考えるべきである。右派が民主党から政権を奪還し、「安倍救国内閣」を8年の長きにわたって継続できた理由は、こうしたカルト的な発想とは後になって決別したからに他ならない。
当初はネトウヨを中心とした右派こそこのような国家危機を煽る風潮があった。ネトウヨの間では「み・み・み 民主はき・き・き 危険だに・に・に 日本が滅びる」という謎のラップが作られたりもした。しかし、民主党政権になっても日本国は当然滅びなかった。
そうした国家崩壊を本気で信じ込むようなカルト的な層が大勢ネトウヨに流れ、不安感をこじらせてまともな精神状況とは思えない過激なヘイトスピーチが広まったりもしたのも事実だ。しかし、2012年に第二次安倍政権が発足したあたりから、その傾向は大きく変わっていった。
(Wiki)彼らは安倍氏を右派思想の体現者で救世主であるかのようにみなして個人崇拝したが、実際に権力に舞い戻った安倍首相がやったことは現実路線の政治だった。ネトウヨがいくら「中国が攻めてくる」と叫んでも、民主党政権時代の前原大臣の尖閣問題対応のような中国強硬路線はとらなかった。ネトウヨもリベラルも気づいていないが、むしろ親中政治家の代表の二階俊博氏を幹事長にすえて、前政権時に決定的に広がった日中間の溝の修復に徹し続けたのである。
また、野党時代に安倍氏はチャンネル桜に出演したり、産経・Hanada的な紙媒体を重視するなど右派メディアを通した発信したが、いざ自身が首相に返り咲いてからは、バラエティ番組に生出演したり、マリオの格好をして東京五輪のPRをするなど、ノンポリ大衆向けの情報発信が多くなった。
右派だけの閉鎖空間にこもってヒステリックなふるまいで「この国は滅ぶ」と危機を煽るより、万人向けに明るく振舞うほうがはるかに国民からの支持を取り付けるには良いのである。それがあるので政治に関心の薄い世論はやんわりと政権を容認し、安倍時代は長く続いたのだ。
日本のリベラルも明るい未来を描け
バーニー・サンダース氏といえば社会主義者を自認し「左のトランプ」とも呼ばれているいわばアメリカ左翼のリーダーである。しかしそこには、ドナルド・トランプ前大統領のようなギトギトした雰囲気はなく、だめになったアメリカを立て直してくれそうな希望に満ち溢れている。
欧米でも、となりの韓国とかでも、リベラルが一定数影響力があり、政権交代が当たり前で、特に若い世代に左が支持される傾向がある。日本のリベラルがそうならないのはダメになったこの国を自分たちならこう立て直すという明るいビジョンを掲げる発想が不在だからである。
サンダース氏自身は高齢だが、ネットを通じてZ世代に大人気である。日本のリベラルも現状の課題をくさしてこの国は終わりだと言うのではなく、じゃあその課題をどうやって克服し、現状に代わる新しい軌跡を描くかということを真剣に考えるべきではないか。若い世代が飛びつくには、それしかないのである。
普通に考えればわかることではないだろうか。日本の左の滅びる願望は若者からすれば胸糞悪いはずである。親の世代やその上の世代だけいい時代にさんざん美味しい思いをし、遊びほうけて国をダメにしたあげく、「もうこの国は崩壊するわ。俺たちは墓場に逃げ切るけどね」というような感覚は無責任で卑怯に感じるだろう。彼らが死んでも若い世代は生きていくし、これから長い人生と将来があるのだから、国を滅ぼされちゃ困るのである。
多数派に理解され、若い世代に支持されるには、陰気の極みのカルトなオオカミ少年的主張と決別するべきだ。