なぜ山形には何もないのか
(Wikipedia)
「何もない田舎」というと東北地方をイメージする人が多い。昭和の時代なら、ドラマやコントに出てくる女中が東北弁を話していたり「俺ら東京さ行くだ」という曲がヒットソングになったり露骨にバカにされたものであった。そういうことが東北地方出身の両親は子どもの頃コンプレックスだったという。
理由は様々あるが、関東に隣接する地方でありながらあまり産業化されておらず過疎地が目立つこと、積雪寒冷地で寒村的なイメージがあること、邪馬台国や朝廷があった西日本と比べても歴史が短く中央から征服され続け「白河以北一山百文」と蔑視されてきたことなどが複合して現状に至っているのだろう。
その東北地方で最も何もない県はどこかというと私は山形県だと即答できる。考えてほしい。6県のうち山形だけイメージが浮かばない。東北でユネスコ世界遺産といえば岩手なら平泉、秋田や青森にまたがる白神山地や縄文遺跡群があるが、山形には世界遺産がない。それどころか重伝建すら東北地方で唯一県内に1つもない。となりの秋田県なら角館武家屋敷群、福島なら茅葺屋根の宿場町がそのまま残る大内宿が有名だが、山形で突出した観光地はない。
ネット上では「東の山形、西の佐賀」という言葉さえ見かける。日本で最も旅行する価値がなにもない県がどこかというという時に山形県か佐賀県が浮かぶということだ。しかし私から言わせれば、昔お笑い芸人が何もない「佐賀県」を馬鹿にした曲が大ヒットしたことがあっただけ佐賀の方がまだマシではないかとさえ思うのだ。
先述した歴史背景もあり、東北地方じたいが名所・名物がただでさえ弱い。しかしその中でも山形県の何もなさが目立つのは事実である。有力企業もないので出張需要も少なく、東北新幹線・自動車道沿線のように素通りされることすらもない。多くの人は山形の地を一度も訪れることなく死んでいくのである。
なぜそうなってしまうのか。私はそれは山形県の特殊な地域柄があるからだと考える。
「1つの山形」になれないワケ
今ある全国の県は明治の廃藩置県によって江戸時代の藩の継承として設置されたものである。東北の場合、宮城県ならもちろん伊達藩、青森なら津軽藩、福島といえば東北戦争の悲劇のあった会津藩という風に、県の広範囲に大きな影響を与えた前身となる藩が存在する。しかし山形にはそれが浮かばない。
となりの秋田県の場合、県土のほとんどが久保田藩の支配下で、佐竹敬久知事の先祖の佐竹氏のもとで一体的なまとまりがあった。だが山形の場合、「山形藩」はあくまで現在の山形市に城を置いた藩でしかなく、米沢市は米沢藩、となりの高畠町は高畠藩、上山市は上山藩という風に自治体ごとに別の藩があった。そのため歴史的な中心地域というものがないのである。仮にどこかの地域を県として重視する場合、別の地域が軽視されてしまうことを意味するのでそれができない。
こうしたことが観光ゾーン不在状態を招いている。福島県なら会津が中心なので歴史名所の多い会津地方が県を代表する観光ゾーンになっている。青森なら津軽の中心だった弘前城が県を代表するランドマークである。秋田の場合、角館を中心に田沢湖などもある周辺一帯に訪問客の導線が形成されているが、山形だけはこの県に訪れてどこが滞在の中心になるかがわからないのである。
どの地域も「えこひいき」をしてはいけないので、平準化がなされてしまう。たとえば山形新幹線を作る時、国鉄は当初仙台駅から仙山線を経由して山形駅まで結ぶルートを考えていたが、県土の広範囲に利益が行き届くために今井の奥羽本線ルートになってしまった。高速区間が少なく所要時間は伸びてしまい、さらには最寄りの大都市である対仙台の鉄道高速化もできなくなったが、沿線の各自治体が駅舎を作り替え、まちの再開発を行った。土建屋は儲かったが、概して無機質になり昔からの風情あふれる町並みがブチ壊されてしまった。新幹線はその後需要がほとんど何もかかわらず県北の新庄に延伸されたが、それも利益を引き延ばすためである。
山形に世界遺産もなく重伝建もないのは、こうした「横並び開発主義」のせいではないかと思う。岐阜県・飛騨地方の白川郷のように、内外から多くの人が見物しに来るに値する固有の風景が残された場所は、近代化に取り残されたことで開発を免れた場所でもある。そうした後進的な取り残された土地を防ぐための発想もまた、山形を殺風景にしてしまったのである。当然、歴史的中心たる飛騨高山のように江戸時代の街が残る場所も山形にはないのだが。
(Wikipedia)一方で、無数に藩があった土地を一つの県にまとめた以上、県庁所在地が設置され、県都一極集中が起きてしまうのも事実である。すると近現代における中心機能は、すべてが山形市になってしまう。
事実、大正時代の山形市の人口は4万8000人で、当時の米沢市の4万3000人とわずか5000人違いであった。いまでは山形市は24万人、米沢市は8万足らず。拮抗していた山形市は米沢の3倍の人口になっている。江戸時代ならどの地域も独自の城下町として繁栄していたが、山形市だけが「中央」になり、明治大正昭和平成と一点集中が進んだ果ての現状なのだ。
とくに重視される地域もない中で、県庁所在地で経済中枢のある最大都市の山形市と、それ以外の格差だけが広がってしまう。その結果が現状なのである。
県都山形市も冴えない理由は仙台依存
その理由は仙台市に近すぎるからである。山形市と仙台市は実は県庁所在地同士が直接隣接している。特に山形自動車道の開業以降は高速バスやマイカーでのアクセスが便利になり、山形市民は買い物や通勤通学でより魅力的な仙台に日帰りで通うようになってしまった。「仙台市山形区」とさえ呼ばれているほどだ。
すると当然、山形の中心街は空洞化する。2020年に山形市内にあった老舗百貨店の大沼が閉店し全国で最初にデパートが全滅した県になったことはその象徴だったが、市街地はシャッター街のように人の気配も活気もない。企業も経済合理性を理由に山形支店を潰して仙台のオフィスに統合する。空きビルと空き地ばかりが増えるのである。
これは観光にも影響を与えている。山形で複合的な観光ゾーンになりえそうな場所といえば、温泉やスキーなどで有名な「蔵王」があると思うのだが、実際にはこの蔵王エリアは宮城県境にまたがっており、蔵王を代表する「お釜」があるのは宮城県内なのである。
(Wikipedia)それから山形市内の代表的景勝地の山寺も仙台駅から仙山線で1時間超もあれば行けてしまうので、山寺を見るためにわざわざ山形に来るというよりは、「仙台ついで」で見に行くようなポジションになっていて、拝観したらそのまま引き返してしまうので山形の街に泊まったり県内のほかの場所にカネが落ちることはないのだ。
このように仙台・宮城のついでに行く分にはよいが、山形のみを主目的にするとなると魅力に欠けてしまい旅行をしようという意思が削がれてしまう。これが山形に観光に行く人がいない理由でもある。
ちなみに言えば山形を代表する食べ物の「芋煮」も、本場は仙台だ。芋煮自体は本来東北地方のどこにでもあるもので、高度成長期に東北各地から仙台に人が集まった際に、親睦を深めるための共通文化を通じた交流機会として「芋煮会」が盛んになった。それがおとなりの山形にも伝わっただけなのである。よくニュースで目にする巨大鍋をショベルカーでかきまぜる山形市で開催の「日本一の芋煮会フェスティバル」も実は平成時代に始まった新しいイベントなのだ。
秋田なら「きりたんぽ」のように、東北のほかの県には独自のご当地鍋がある。山形にはそれがなかったので、東北全土でポピュラーな芋煮を推すしかなかったということでしかないのだ。
国策依存で独自のビジョンを持たない山形
筆者はここに福島と山形の決定的な方向性の違いが見えると考える。福島の場合、会津戦争(戊辰戦争)の怨恨もあって「植民地総督」のように忌み嫌われている三島県令が、山形ではインフラ整備により「後進県」の近代化に尽力した偉人扱いなのである。
そしてこの性質は戦後もそのまま引き継がれている。1992年に「べにばな国体」を開催した際に、会場となるNDソフトスタジアム山形のほか、山形新幹線や庄内空港、山形自動車道の東北道と接続する区間の開通といったハコモノや交通整備が一気に進んだ。国体は文部科学省共催で開会式で天皇陛下も臨席する国家行事で、県単体の行事ではない。
(Wikipedia)筆者の地元は神奈川県で、同じ90年代に国体を開催しているが、だからといって県内に空港が開港したとか、東海道新幹線に湘南新駅ができたというような事実はない。現在900万人が住む神奈川に空港は1つもないが、田舎で広いとはいえ1つの県に2つも空港のある山形は明らかに過剰だ。もっと言えば新幹線で東京に出られるのなら山形空港だって必要ない。仙台空港には羽田便は存在しないのだから、山形空港に飛行距離の短い羽田便があること自体明らかに過剰だ。
神奈川県の場合、地域が独自に県を発展してきた歴史がある。歴代自民党政府がインフラ整備を軽んじたため、横浜市内の国道1号線はいまだに対面通行区間があったりする。そのかわり、昭和から平成にかけて歴任した長洲県知事がハコモノを各地に作るなど、県の財源・権限のもとで独自発展を遂げてきたのだ。横浜ベイブリッジに至っては横浜市の事業だ。国策でもおかしくないものが、県どころか市の政策で行われてきたのだ。
こういう指摘をすると「神奈川が人口の多い都会だから自治体主導による地域発展ができたのだ」という人がいるがそうではない。例えば富山では、県知事が会長とする検討会のもと県内の複数のJR赤字ローカル線を新幹線と並行する第三セクターに移管して一体的な存続を模索するほか、県都の富山市でもローカル線をライトレール化して市内の路面電車に接続するなど、前例のない地域独自の公共交通政策が目立つ。人口が減っているから、クルマ社会だから仕方ないととただローカル線の衰退を自然現象にようにとらえて、県全体の街の衰退と交通崩壊を指を喰わてみているわけではないのである。
今の山形で県内のローカル線を自治体で存続しようという積極的な話はないし、山形市が車社会で移動が不便で空洞化しているから宇都宮みたいに路面電車を作ろうということもない。同じ日本海に面した積雪寒冷地で田舎県の富山にできることが山形にできないのは地域主体意識の不在にほかならないのだ。自分たちで独自のグランドデザインを描き、どこを発展させるかということを考えないことが、今の山形の惨状を招いているのである。
最過疎地の鳥取県に「砂丘がある」ワケ
(Wikipedia)山形に何もないというのは結果論である。日本の県で最も過疎地の鳥取には、言わずと知れた鳥取砂丘がある。誰もがあの光景を見れば日本でこここにしかない砂漠地帯だと思うだろうだが、実はこれは厳密には砂漠ではないのである。
日本で唯一の砂漠は東京都の伊豆大島にある。では、「日本最大の砂丘」かというとそうではなく、同じ東北地方の青森県にある猿ヶ森砂丘の方がはるかに大きい。一般に全国的に知名度ある県を代表する名所といえばナンバーワンやオンリーワンであることが多いが、鳥取砂丘はそのどちらでもない。
それなのになぜ有名なのかというと、それは鳥取県が積極的にその価値創造や発信に努めたからである。実は戦後まで鳥取砂丘は名所ではなく、むしろ「不毛の大地」とされ蔑視されたりしたという。それが国定公園にしていされ、のちに国立公園に昇格する中でその独自の景観が県外から注目されるようになった。外からの評価を受け、「緑化対策」などの自然保護やPRを続けたことが、いま奏功しているのである。
これは山形にはない発想なのである。恥じていたものだろうと外から評価されれば徹底的にそれを生かしてモノにするという積極性や外向き志向がないのだ。とことん内に閉ざされ「内に横並び」の県だから、こんな財産は生まれなかった。ちなみに山形県内にも庄内砂丘という砂丘があるが、とても生かせているようには見えない。
はっきり言えば日本で一番過疎の県の鳥取の方が山形より「マシ」なのである。何ならともに県二都市で人口のほぼ同じ米子市と鶴岡市なら、鳥取の米子のほうが街が栄えていて産業もあるように見えるから、本当のドベは山形なのかもしれない。
何もない県というのは「中央からの収奪の結果さびれてしまった」のではない。自分たちの地域のまとまりや独自発展策の不在にすぎないのだ。