れいわ新選組はなぜパッとしなくなったのか

 

 (Wiki)

 2019年、山本太郎参議がたったひとりで立ち上げた新党「れいわ新選組」。この年の参院選はれいわ旋風と呼ばれる社会現象を巻き起こし、低迷している野党の間で大きな存在感を示したことをみなさんもご記憶かもしれない。


 5年後のいま、れいわ新選組の存在感はパッとしない。党勢もほとんど拡大している印象はない。なぜれいわ新選組は埋没してしまったのか私はその最大理由として「既成政治の論理に取り込まれてしまったこと」があると考える。


 そもそも党首の山本太郎自身、既存の政治家ではなかった。映画やドラマで引っ張りだこの人気俳優から原発事故を理由に活動家に転身し、政界入りしたという異色の経緯の持ち主である。脱原発運動は民主党政権下で高まり、当時の活動家らは民主党政権相手にこぶしをあげていた。原発を推進してきたのは自民党系の保守政財界だが組合票欲しさの野党政治家も共犯者であった。


 れいわ以前から山本太郎に集まる支持は、タレント出身で大衆万人に訴求力がありかつ「左も含めた既成政治」にあらがうリーダーとしての期待感によるものだったというわけだ。

社会問題全部載せの候補を集めた初選挙

 結党当時、れいわ新選組が擁立した候補者は山本代表以外すべてが新人だった。それも今まで政治にチャレンジした経験もなく、芸能人でもない人だった。だがその共通点は現代の社会問題の当事者やプロフェッショナルであることだった。

 ある候補者は「派遣切りでホームレスになったシングルマザー」であったし、ある候補者は「辺野古反対を理由に公明党を批判する沖縄の現役創価学会員」だった。大手金融出身のコンビニオーナー、女性装の経済学者、拉致被害者家族の元原発職員・・・1つのみならず複数の社会的特徴を持つ人物ばかりを取りそろえ、みごと当選した2人の参議は「車椅子で寝たきりの経営者」だった。

 これらは既存政治が解決できずにいる課題にさらされ続けた当事者でもあるし、人によってはその解決策を提案できる専門家でもあった。このような社会問題を知り尽くした人物を全面に出し、ゲリラライブのような市民対話型の街頭演説とネットの口コミで、れいわ旋風は広まったわけである。

 そして当時の時点ですでにネトウヨから誹謗中傷はたくさんあったが、左翼の党ではなかった。拉致家族や金融のプロのような保守が強そうなテーマに長けた人物も目立っていた。既成政治にもイデオロギーにもとらわれない現象として有権者の耳目を引いたわけである。

ただの「第二小沢派」化

 しかし、その後のれいわ新選組の流れを振り返ると、このような旗揚げ当時の新奇性は次第に薄れることになる。選挙に勝てなかったいくつかの候補はれいわ新選組を離れてゆき、立憲民主党の地方議員になったり、参政党に行ってしまった人もいる。

 そうした中、れいわ新選組に集まる人材の性質が変わっていった。既存政治家が目立つようになったのだ。かつて民主党に属した議員経験者たちで、どちらかと言えば小沢一郎グループの側だった者たちだ。

 山本太郎は結党前に小沢一郎とともに「自由党」の共同代表だったことがある。そしてその自由党ができたきっかけは民主党の党内抗争だった。小沢氏といえば民主党政権で中枢にいたものの、増税をめぐって党に反発し、自身の派閥を引きつれていっせいに下野して作った「生活の党」が看板を変えたものが自由党だった。

 SNS上では山本太郎を熱烈支持する「ヤマシン」と呼ばれる人たちがいるが、彼らは「オザシン」と層が一致する。小沢一郎信者ということだ。陰謀論の傾向があり、緊縮財政に批判的で、財務省を激烈に叩く。れいわ新選組のここ数年の演説映像を見ていると、どんな時もやたらと積極財政論ばかりを語っていて、ほかの政治トピックへの言及が少ないように見える。それが今のれいわ新選組のコア支持層の関心事の表れなのだろう。

 ちなみに小沢氏自身は立憲民主党に合流したがために、旧民主党に批判的で小沢新党を支持していた人たちの受け皿がなくなってしまっている。そこにちょうど良く収まったのが今のれいわ新選組の安定のポジションというわけである。

 よく自民党批判者が維新のことを「第二自民」とか「自民党馬場派」と呼ぶが、これでは「第二小沢派」であり、無党派層との距離は遠のいてしまった。既成政治の枠の中にもともといたいる層、政局マニアの間ででしかれいわは消費されなくなっているということである。

左傾化を決定づけたウクライナ問題

 おととしロシアによるウクライナ侵攻があった。世界中のだれが見てもプーチンが悪いことは見ての通りだった。その軍事侵攻の発生当初こそ、社民党の機関紙がロシア支持の記事をうっかり上げてしまい、炎上して取り下げたことがあったように既存左派の受け止めはまちまちだったが、立憲民主党から共産党まで自公政権と一致してロシアを非難しウクライナの側に着くようになっている。

 だが例外が、れいわ新選組だ。孤高路線の共産党でさえもロシアを叩いている中、れいわのみがウクライナ侵略非難決議に反対し物議になった。これは第二小沢派化した令和が、さらに別のフェーズに到達したことを印象付ける現象だった。

 社民党がウッカリをしてしまったように左の中には冷戦時代の反米親ソの立場を引きずった勢力が一定数いる。そうした勢力にとって、悪いのはプーチンだからと共産党さえもNATOやEUといった西側に従属する現状に不満を抱えているのは当然だ。そんなニッチ左翼に受け皿を用意していることで成り立っているのが今のれいわともいえる。

 ちなみに民主党政権までは、この手のシニア受けする「ぶれない左翼党」の立ち位置は共産党があったはずだ。共産党は歴代自民党政権と敵対し続けていたし、民主党政権になっても社民党みたいに連立入りをせず、たたかう野党の立場を貫き左からの民主党叩きをしていた。

 しかし、第二次安倍政権以降、リベラルが瀕死の状態になって野党共闘が求められるようになると国民連合政府構想をぶち上げて、立憲民主党との相互連携を模索するようになった。自衛隊・日米安保や天皇制の否定のような、国民の主流的考えと相容れないイシューでも野党共闘の政権交代を実現するのならば横に置いておくという大譲歩の姿勢も示している。

 その共産党の現実路線が、野党の立て直しをうまく進めていたのも事実だが、一方で世間と逆らっても我流を貫いてほしい高齢左翼には煮え切らないものもあるわけで、野党共闘の足並みをぶち壊してでもその層を取り込むというのであればこの世界的な政治的関心事であえてロシア寄りに就くというのは効果的な作戦でもあった。

 だがこれでは現実離れした左翼党のイメージが強くなってしまい、多数派国民が引いている状態ではないか。そりゃパッとしなくなるのは当然である。

完全ボランティア政党ゆえの限界と迷走

 れいわ新選組は、自らたびたび発信しているように大企業や組合・宗教団体からの支持を一切受けていない。党の資金源は街頭演説などで集める浄財である。完全なボランティア政党なのである。なのでその運営は相当クリーンだ。

 しかし有力な後ろ盾を持たないからこそ、「旋風」のような世論の耳目を引く現象を起こせずにいると党を成り立たせることも難しくなってしまう。維新や、かつての民主党、あるいは小泉政権時代の自民党のような大衆の熱狂で成り立つ劇場型のポピュリスト政党は、いずれもなんだかんだで業界団体や組合や宗教的な支援があちこちからあったので、無風状態でも低迷期でも安定した基盤を築けていたのだ。

 ボランティア政党ゆえの限界が見えてくるわけである。藁にもすがるようになると、ある時はオザシン的な人たちの集まりになり、またある時は令和時代版の共産党になる。これらは過去の左翼党の焼き直しでしかなく、左翼界隈の狭いマーケットの中のさらにニッチにしか刺さらない。長い目で見れば得るものは何もないだろう。

 右の世界でも似たようなことがある。チャンネル桜が「新党くにもり」を立ち上げて、「大企業や組合・宗教団体からビタ一文受け取りません」とアピールしながら積極財政を訴えたりし、そこだけ切り取ればれいわ新選組そっくりなことをやっていたが、候補者を当選させることはできず、最後には例によって落選候補者の仲違いが起きた。

 一般の多数世論にとって「既成政治」への不信感、政治と国民の民意との乖離の意識の源に、組織票や団体による献金の仕組みがあることは間違いないが、スポンサーなしに国民に支持される政党を作ることは難しいのである
 

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