野党共闘は「自民党潰し」ではなく公平さでまとまれ

 

(Wiki)

 自民党がボロボロだ。岸田文雄政権の支持率は下がりっぱなしであるし、自民寄りの産経新聞の世論調査でも52%以上が政権交代に期待と答えたという。自民党は普通ならとっくに下野している状態だ。


 しかし実際には野党の支持率が上がらない。最大野党の立憲民主党でも6%程度であるし、それ以外の党はもっとひどい。そもそも立憲民主党は、第二次安倍政権で革新野党が壊滅的状態になった際にSNS上のリベラル層による「枝野立て」との声のもとに枝野幸男前代表(画像上)が結党した政党だった。しかし今、泉健太体制下の立憲民主党からは枝野時代のような鋭い自公政権批判、共産党を巻き込んだ共闘の訴えが叫ばれることはなくなっている。


 立憲民主党を支持する人たちには二種類いるように見える。ひとつは「民主党復活論者」である。かつて民主党を支持していた党員やサポーターを含めた人たちで、主に民主党左派の集まりである立憲民主党(立民党)と、民主党右派の国民民主党(民民党)の再統合による大民主党復活をもくろんでいる。党としては立民党の方が大きいが基盤がなく、かつて民主党の支持母体だった労組のナショナルセンターの連合は民民党寄りなので、それらをひとまとめにすればちょうどいいと考えるのである。


 たいして、もうひとつとしては「国民連合政府論者」がいる。これは立民党結党前の2015年、第二次安倍政権による集団的自衛権容認をめぐり激しい反対デモが発生し、野党同士の連携・共闘が進んだ際に共産党が掲げたもので、共産党の選挙協力のもとで政権交代を目指すというものである。


 ネックにあるのは共産党なのだ。旧民主党政権は、社民党と連立したものの共産党は中に入ることはなく、左から民主党政権を批判していた。こうした背景ともともとある冷戦時代の反共意識もあって、民主党復活論者の間では共産党だけは中に入れるなというアレルギー意識がある。


 一方、国民連合政府論者などからすれば、民主党も「劣化自民党」でしなかなかったが、それよりも戦後の歴代政権(そのほとんどが自民党ではあるが)の踏襲し続けた常識や秩序をブチ壊し、やりたい放題で政治をゆがめた安倍時代の独裁を止めること、捻じ曲げられたものを糺すことの方が重要であるので「鼻をつまんで」第一野党の立民党を支持し、民共共闘を進めることを優先するという考えがある。自民党が右翼に振り切れてしまったのだから、左翼(共産党)を巻き込んだほうがやっと対立軸を示すことができ、それで政権交代することでやっとバランスが取れるというわけだ。


 ここ数年の野党がグチャグチャしているのは、泉健太体制の立民党が「どっちも路線」といえる中途半端な方向をとっていることにある。かたや国民連合政府論者にとっては補完勢力でしかない民民党や維新にもウイングを広げつつ、かたや共産党にもアプローチをし続けているのだ。どちらの側にとっても腑に落ちるものではないし、ただ自民党を潰して自分たちの政権を取りたいという意図しか見えないのである。それではうまくいかない。

多数派国民にとっては民主党も「既成政治」

 民主党復活論者、旧民主党支持層たちの発端は、平成の新党ブームにさかのぼる。ロッキード事件やリクルート事件で金権腐敗の自民党が否定され、小沢一郎が作った新党(のちの民主党の前身)を支持した人たちがその起点である。政治腐敗は自民党腐敗であり、自民党から政権を奪えばすべてがバラ色になるという考えだ。


 しかし現実には、細川政権や鳩山政権で2度政権交代をしているが、目に見えて政治が変わったことはほとんどなかった。まして今は平成ノスタルジーが叫ばれる令和時代である。平成新党とて多くの国民にとっては「古い時代の既成政党」であり、既得権益のような存在なのだ。


 私には民主党復活論者は、負けたゲームに同じやり方で再勝負を挑んでまた負けようとしている進歩のない子どものように見える。民主党には党の綱領もなかった。非自民という一点と数の力だけで固まる極左から極右まで含んだヌエのような政党だったのだ。彼らが政権を獲得した結果、起きたのは内ゲバだった。辺野古問題で社民党が連立離脱し、増税をめぐり民主党の小沢派が下野し、党勢を失ったまま下野して今に至っている。もし無理やり非自民政党をみんなくっつけて数の力で再政権交代をしても、同じ惨劇の繰り返しは目に見えているし、そしたらもう国民の不信感は頂点に達し、旧民主党そのものが消えてなくなる可能性もある。


 そう考えれば、やり方を変えるだけ国民連合政府論者は賢者である。今まで非自民政権や社会党政権はあっても、共産党が政権に関与したことは一度もないので、既成政治に代わる新しいルールの政治という選択肢が有権者に出てくることはいいことだ。共産党アレルギーの存在はもちろんあるが、自民党が公明党と連立したからといって国立戒壇を作って創価学会が国教化されたわけではないし、日本がいきなり共産主義体制になるとも思えない。共産党は自衛隊や天皇制の容認の立場をとっている。

野党は「公平さ」を問え

 しかしそうした主張がとがっていたのも安倍元首相が健在な時代のことではないか。安倍氏が旧統一教会に恨みを持つ人物に暗殺されて以降、自民党は宏池会系の岸田首相のもと脱安倍路線を一気に進めている。裏金問題で安倍派は解散させられたし、金融政策さえも転換を図ろうとしている。それでも左翼は「岸田は隠れ改憲派だ」とにらみ続けているが、ネトウヨから「鳩山以下」とさんざん叩かれている岸田首相に右翼の期待する政治が実現できるとは思えない。10年前と比べいまの自民は間違いなく相当穏当になっている。


 今の自民党では野党はイデオロギーを訴えることで自民党に勝つことは難しいのである。であれば何が必要かといえばそれは政治におけるフェアネスの訴えだ。裏金問題はまさにそうであるし、岸田首相は息子の階段寝そべり写真で世襲政治が問われた人物でもある。国会議員が役所の職員にパワハラをしていたという疑惑もあった。いまの自民党に有権者に問われる最大の課題があるならその権力の不当性である。


 なんでも自民党を潰すことありきではなく、自民党から権力を奪えばバラ色になるというわけでもないことを踏まえた上で、公平で公正な政治の実現を唱えるべきである。その上でも、立憲民主党は党内の世襲政治家を引退させ、替わりにその選挙区を他党に譲り、一部の者の利益にしかならない連合の組織候補を辞めるべきである。不公正な政党とは野党であっても共闘をしてはいけない。それができなければ一生政権交代はないだろう。









このブログの人気の投稿

なぜ松山は四国最大都市の座を高松に奪われ没落しているのか

なぜ「豊橋は未開の地」発言が大炎上してしまったのか

なぜ日本人に同胞意識がないのか