なぜ山形は観光地が何もない県と言われるのか
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山形は観光地が何もない県とよく言われるそうだ。県魅力度ワーストでこそないが、下位争いを繰り広げる栃木や埼玉はなんだかんだ東京から近い地の利を生かせている。栃木なら世界遺産の日光、埼玉なら秩父や長瀞と言った観光地が浮かぶが、山形県で旅行に値する場所はあまり見当たらない。もちろん本当に何1つ観光スポットがないわけではないが、遠路はるばる新幹線に乗ったりホテルや有給をとったりして行く価値があるかというと、そこまでは及ばない場所ばかりなのだ。
山形で有名な温泉地と言えば銀山温泉が浮かぶ。しかしただ温泉に入るだけなら東京からすぐ近くの箱根でいい。また規模としても日本一の温泉がある別府を有する大分県にはかなわない。また県を代表する山として月山があるが、富士山の高さには到底かなわない。東京人にとってちょっとした気軽な登山気分を味わいたいだけなら都内の高尾山で十分だろう。
山形を代表る景勝地をあえて挙げるなら蔵王であるが、蔵王エリアは宮城と県境をまたがって広がる場所であり、肝心のお釜(上の画像)がある場所は宮城側である。これが山形の現実だ。蔵王に限らず、「仙台からちょっと足を延ばして山寺へ」という風に、土産のオマケとしては行くに値するあるスポットはあっても、山形を目的地とするほどの場所は何も見当たらないのだ。
過疎ワースト県の鳥取でも砂丘が有名
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だが山形の最大の課題は、たんにこの県に魅力創出・発信の能力がなかったことである。どんな田舎にだって何も見どころがない場所はないのが、そこにある見どころは意識的に整備し、全国へPRを続けてきたパターンが多い。県として人口ワーストの過疎地・鳥取にある鳥取砂丘は代表格である。
鳥取砂丘が地元を代表する名所になったのは戦後からだ。それまでは不毛の地としてむしろ否定的にとらえられ、戦後の鳥取市長は「木も生えないようなところは鳥取の恥部である」とさえ断じていた。そしてその恥部を隠すかのように砂丘の周縁部は防砂林で緑地化されたり農地などに姿を変えていったのだ。しかし1955年に鳥取砂丘が国の天然記念物や国定公園に指定されると、その独自の景観を一度見に来ようと観光客が増加し、今に至っている。
鳥取にだって江戸時代からの名所や名物は幾らでもある。山なら伯耆大山、温泉なら三朝温泉なんかがそうだろう。だが東京じゃみんな忘れているか、そもそも存在を知らないだろう。そんな程度の旅行スポットは全国どこにでもあるからだ。やはり一面砂地が広がる鳥取砂丘のインパクトは大きい。
実はこの鳥取砂丘は厳密には砂漠ではない。日本で唯一の砂漠があるのは伊豆大島である。また日本最大の砂丘というのも誤りで、面積では青森県の砂丘に負けている。つまりオンリーワンでもなければナンバーワンでもないのである。それでも人々が日本で疑似砂漠体験をするのであれば鳥取を目指すのは、雑草が生えるたびに伐採するという本物の砂漠地帯に住むエジプト人が聞いたら驚くような「緑化対策」に腐心しているほか、対外的なPR発信を堪えず続けてきた結果と言える。
ちなみに山形県にも庄内砂丘という場所があるが、当然のように山形県民以外の知名度は無に等しい。理由はもうみなさんもお分かりだろう。地元の積極的な利活用や情報発信の取り組みが見えないのだ。
山形には観光地区が見えない
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筆者はおととし岐阜県の飛騨地方に行った。下呂温泉で宿泊したのち、江戸時代の情緒が残る歴史ある高山の町並みやユネスコ世界遺産の白川郷の集落を回った。県都の岐阜市からもクルマで2時間かかったが、自然と調和する古くからの風情を保った素晴らしい場所であった。今頃はインバウンドで大賑わいだろう。
山形県に欠けているのは、こうした観光ゾーンの設定だ。その県において充実した滞在のできる中心地区が見当たらない。お隣の福島県なら会津地方がそう。若松城に猪苗代湖に喜多方ラーメン、大内宿の古民家集落と観光コンテンツが会津地方に集中する。秋田県なら田沢湖に角館武家屋敷群、大曲花火の大仙市がある秋田新幹線の沿線だろう。
こうした観光でどこを訪問するかという重点的な地域が山形ではわからない。なのでるるぶやまっぷるといった旅行ガイド本の表紙も、他県なら「飛騨高山」「会津」とか表紙に大きく見出しがあるものだが、山形版は県内の主要な自治体の地名とバラバラの場所にある観光地を列挙しているだけでつかみどころがないのである。
ちなみに白川郷も大内宿も、山深い場所にあったがために戦後の近代化に免れて残った集落を保全したもので、重伝建に指定されている。山形には世界遺産は愚か重伝建が一つもない。どこが観光地として重要な地帯かという選定もないので、保っていれば世界遺産にすらなれたかもしれない独自の家並みの古い集落も新築したり屋根にトタンを乗っけたりして無機質なだけのどこでもある近代式の住宅に切り替わったということだ。