大阪は関東の文化植民地になるのか

 大阪・心斎橋のユニクロ旗艦店のドギツい作りが話題だ。東京のテレビでよく伝えられるキッチュな「コテコテ大阪像」を全面に押し出している。写真2枚目の左奥に「羽織ってみたら新世界」のキャッチコピーが見えるが、新世界は通天閣でおなじみの下町の地名になぞらえたものだろう。


 しかしこれがとうの大阪人からの評判は悪い。心斎橋は東京で言えば銀座のようなブランド街である。東京に引けを取らない上等な地域であるということが大阪人のプライドでもあった。そのど真ん中で、府外資本のユニクロが下町オバタリアン的センスを全面に出すのだからナンセンスに感じるわけである。


 だがこれが今の大阪の立ち位置でもある。このユニクロはコロナ渦で閉店した跡地に最出店したものであるが、どう見ても地元の大阪府・市民相手ではなく東京や海外からの観光客の需要に振り切った店舗だろう。心斎橋に限らず大阪の多くの繁華街が、免税品店やドラックストアだらけになっている。理由はもちろんインバウンド需要だが、それは地元相手の商売は成立しなくなっているということでもある。

 円安で爆買いの街に変わりつつある心斎橋で、地下鉄駅のリニューアル案が物議になったことがあった。東京にもないような戦前のシャンデリアがぶら下がった歴史あるホームがケバケバしい内観に改修されそうになり、反対署名運動に発展した。結果、穏当な渋いデザインにリニューアルされたが、こうした反対運動が起きる背景として、心斎橋のディスカウント化の流れに不満を感じる市民いるということではないか。


 阪神VS巨人に見られるように大阪人は「永遠の関東コンプレックス」の持ち主である。実際戦前であれば、人口でも経済規模でも大阪が東京に勝っていた時期もある。大大阪時代だ。江戸時代からの商都として繁栄する大阪の人たちにとって、その凋落は決して認めたくない不都合な事実だ。


 しかし実際には、戦後の長期低迷によって東京との格差は決定的になっている。大阪市は300万都市から200万都市に人口を落とし、名古屋と並ぶ存在になった。今はインバウンド経済でなんとかもっているものの、企業の本社が東京に逃げられ続けた大阪には、トヨタのおひざ元の名古屋に経済レベルでも抜かれる危惧もある。名古屋や札幌などと並ぶただの地方の大都市のひとつというのが、今の大阪のポジションだ。

疑似東京化する大阪駅

(Wiki)

 筆者は依然、関西の友人に会いに大阪に行って今の大阪に気づいた。大阪駅は再開発がちょうどひと段落ついたタイミングで吹き抜けのある立派な駅舎になっていた。その駅ビルには三越伊勢丹(現在はルクア1100に改称)や東急ハンズ(現在のハンズ)の看板が掲げられていることが非常に印象的だった。


 三越は東京・日本橋の、伊勢丹は新宿の百貨店である。そして東急は東京の私鉄だ。東京資本の屋号が大阪駅にデカデカと掲げられ、そこが地元民の消費の中心地として栄える図式は大阪の疑似東京化ではないかと感じたのだ。


 そしてそれは友人の案内で大阪駅前を歩くとさらに感じられた。駅北側は大規模開発の最中で、ガラス張りの超高層ビルが林立している。まるで港区の森ビルそっくりだ。脇にはヨドバシカメラがあるのだが、この作りも秋葉原のヨドバシカメラにまるきり似ているのである。ちなみに屋号の「淀橋」は本店がある西新宿の旧地名で、ここも東京資本だ。


 じゃあもともと街がある大阪駅の南口はというと、ここもオフィスの並びや雰囲気が驚くほど西新宿に似ているのである。無理もなくて、大阪駅のある梅田地区自体が本来の大阪の中心街ではない。明治時代に鉄道が整備されて大阪駅が開業したことで後から作った街なのだ。大阪ではこの梅田地区をキタと呼び、心斎橋がある場所をミナミと呼ぶ。歴史的な大阪の街の中心はミナミだ。だからこそ私は、低迷する心斎橋の裏で大阪駅集中が進む現象を目の当たりにし、大阪は東京の経済植民地になっているんじゃないかと感じたのだ。


 地方大都市では便利なJR駅中心にまちが再編される傾向がある。さきに触れた名古屋は愛知万博以降、名古屋駅(名駅地区)が再開発され、本来の城下の繁華街の栄地区を凌駕している。札幌では大通公園周辺から新幹線延伸工事に合わせた再開発が進む札幌駅に中心が切り替わりつつある。九州でも九州新幹線の全線開業により福岡市の中心が天神地区から博多駅に、熊本市も城下の繁華街から本来は街はずれにある熊本駅に軸が切り替わりつつある。


 大阪とて200万都市であり、周辺府県を含めてもその後背人口は東京圏よりずっと少ない。である以上、大阪駅周辺が勢いを増せば、反動でミナミが凋落するのは当然の流れなのである。問題は、そこに地元経済の基盤が弱いということだ。

維新は大阪の政党なのか

 SNSを見るにこうした性急な再開発に対する問題意識は大阪でも一定数あり、維新批判の世論となっている。よくある批判はこうだ。橋下徹元大阪市長が政界進出して以来、大阪は見境なく再開発が行われるようになり、一等地がタワーマンションや高層ビルだらけになって見かけは満たされたが街そのものは空洞化してしまったというものだ。目につきやすい場所は「東京と肩を並べる」水準になった反動で他はみんなダメになっているというわけである。


 維新は果たして大阪のための政治をやってきたのかというと私も疑問を感じる。そもそも橋下徹氏の政界進出の後押しをしたのは菅義偉元首相だ。菅義偉は横浜の政治家で、維新の「身を切る改革」の新自由主義の政治は横浜のとなりの横須賀選出の小泉純一郎首相が行った「聖域なき構造改革」を継いだものだ。小泉以降の自民党が保守化したためにできなくなった改革をさらに進めるべきだと訴えたのが神奈川県発祥のみんなの党だが、みんなの党は国政でも自治体でも政権を取ることはできず、同じ政策を実行し続けたのは大阪の維新だった。そして横浜と大阪は、カジノ招致を争い続け、みごと勝ち取ったのは大阪だった。


 そう考えると、維新は沖縄の「オール沖縄」のような地元の人の意志によって作り上げられた政治というよりは、横浜で作って大阪に持ってきた植民政治のようともいえるのである。維新体制の大阪というと地域主権のイメージが強いが、実態は逆ではないかと私は疑問を抱くのだ。ちなみに大阪は府の人口では神奈川県に負け、市としては横浜市に抜かれて久しい。


 その大阪では自民党から共産党まで束になっても反維新の候補を首長選挙で勝たせることはできずにいる。思想の保革を問わず中央政党の色が出るほど有権者のアンチ意識を招いてしまう。実態は何であれ大阪人の関東コンプレックス感情を巧みに煽り、支持に取り付けてきたのが維新だ。


 であれば大阪の地でもし反維新派を勝たせたいのであれば、対抗馬も地域ナショナリズムを重視しつつ、この10数年間の関東の文化的政治的植民地化を検証してその脱却の必要性を有権者に訴える方が得策と言える。

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