東京23区は外周を独立させて効率化せよ

 

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 東京一極集中が叫ばれて久しい。最新の統計で東京23区の人口は980万人を超えている。1995年には797万人だったから、たった30年で200万人近くのすさまじい増加を遂げたことになる。


 多くの都民は日常的に「過密の弊害」を感じているはずだ。これだけの膨大な人口を抱える都市は世界的にも珍しいが、都区部は行政サービスが著しく低いのも事実だ。区の上に「市」が存在しないため、本来市役所で行うような業務を東京都庁で一括管理するか、通常の市よりも権限の小さな特別区役所でやらなければいけないのである。


 都庁にしてみれば、奥多摩や伊豆諸島を含む都全体の面倒を見た上で都区部地域の市役所の役割を同時に担うのはあまりに煩雑なことだ。一方区役所は区役所で問題がある。世田谷区なんて94万区民という政令指定都市レベルの人口を抱えているのに「村以下の権限」しかないために都市計画も作れない。都庁も区役所も厳しい運営が強いられていて、何よりそこに住む都区部民にとっても住みづらいという誰も得しない現状がある。東京は過疎地方と違って一番豊かな恵まれている地域だと思われがちだが、東京にしかない苦労もあるのだ。


 そこで私は東京は、23区があまりに多すぎるので外周部を独立させるべきだと考えている。今東京に必要なのは分離独立である。

江戸川・葛飾は千葉県に、足立は埼玉県にせよ

 たとえば都県境の3区を死として独立した上で隣接県に編入させるべきである。江戸川、葛飾区は千葉県の江戸川市・葛飾市として、足立区は埼玉県足立市にするのはどうだろうか。


 考えてほしい。筆者の住む神奈川県もそうだが、東京の圏ベッドタウンは都県境を越えて周辺県に及んでいる。私は神奈川が東京都じゃなくて不便だったためしは一度もない。郊外の家に住んで都心に通う多くの首都圏民にとっては、通勤に便利な郊外環境があれば住む県がどこであろうと関係ないことなのである。「都区部」という不安定な地位から脱することではるかに生活が良くなるんなら東京都から独立しても構わないはずだ。


 これらの3区は、ほかと違い荒川の外側に位置している。東北本線・東北新幹線であれば荒川はちょうど東京と埼玉の都県境になっていて、神奈川との間でいう多摩川に相当する境界の河川だ。ここが歴史的に見ても文化的な分水嶺になっているから都県境をずらすべきである。ちなみに葛飾区の由来は下総国葛飾郡で、千葉県の西部にまたがる広域地域名称だった。なので葛飾区に隣接する松戸市は東葛飾地域と呼ばれている。なので歴史的な地域同一性を鑑みても、分離独立はおかしいことではないし、むしろ先祖返りともいえるのだ。


 筆者の大学時代、埼玉県川口市在住の後輩がいて、彼女の通学先の高校は足立区だったという。「なぜ他県に」と思ったのだが、地続きのすぐ隣町だから通って当たり前である。逆に足立区から同じ都内の荒川区に向かうには荒川と隅田川を越えなければいけなくなるから、そっちの方が溝が大きいのである。

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 分離の大きなメリットが交通格差解消である。たとえば日暮里駅から足立区まで台東川口線という道路の上をひたすら北上する「日暮里舎人ライナー」という新交通システムがあるが、その終点は見沼代親水公園駅というものすごく中途半端な場所だ。沿線はずっと住宅密集地になっていて、この駅からさきも台東川口線の道路に沿って住宅街が同じ密度で続いているのにここで突然終わるのだ。


 なぜか。それは公園のすぐ先が埼玉県境で、道路も都道58号から埼玉県道58号に管理が変わるからである。日暮里舎人ライナーは都営の交通機関であるが、莫大な費用を東京都で負担して、他県の特定の地域民だけに恩恵が生じる乗り物を作ることは、納税者の多数派都民にとっても納得がいくことではないのである。


 だがもしも足立が埼玉県ならどうだろう。このまま北に伸ばせば川口市内に到達するが、川口には埼玉高速鉄道という県の三セクがある。もし足立の埼玉編入とともにこの日暮里舎人ライナー埼玉高速鉄道に経営移管すれば、例えばをその先の鳩ヶ谷まで延伸して、埼玉高速鉄道線の鳩ヶ谷駅で接続させることだって可能だ。両線の共通パスの導入などをすれば、ますます沿線の川口、草加、足立「市民」らの交通の便が向上するのである。


 そして埼玉や千葉からすれば、政令市1つ分レベルの県民人口を一気に増やすことができ、それだけの税収の増加も見込め、それはめぐりめぐって埼玉の内陸部や千葉の房総地方の様な過疎地への再分配の強化にもつながるのである。半端な場所の都県境がなくなることで「荒川の手前側」というより広い地域一帯を面的にとらえたグランドデザイン作りができるのだ。

「山手線より西側の区」は政令指定都市にせよ

 また、多摩方面に連なる西側の特別区も見直すべきではないかと考える。山手線の沿線(渋谷や新宿・池袋といったいわゆる「副都心」のあたり)よりも先の郊外に向かう沿線の中野、杉並、世田谷、練馬区は住宅地の性質が強い。そしてそのまま全く同じ空気感・風景で多摩地区の各市が連続しているのである。

 これらの区は、渋谷や新宿の様なターミナル機能はない一方で、多摩の市と比べると非常に人口が多い。さきにふれた94万人の世田谷区のとなりの狛江市は8万人しか住んでいない。練馬区は75万人だが西東京市は21万人である。


 こうした地域にとってふさわしいのは政令指定都市である。中野区と杉並区を合併させれば、いずれも人口70万を超え、政令指定都市にふさわしい人口規模になる。私の住む神奈川県では県都の横浜市に加え川崎、相模原市と3つも政令指定都市を抱えているが、大東京にそれが1つもないのはおかしい。さいたま市もかつては大宮、浦和、与野、岩槻市の4つのベッドタウンだったが政令指定都市に合併させている。

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 政令指定都市になれば、県から権限や財源が降りてきてより高度な行政が可能になる。「村以下」からただの市を飛び越して県レベルの自治を獲得できるのである。そして市内に行政区を設置し、地域住民に密接な業務はその区役所が担当することになる。


 世田谷がもし世田谷市だったら、いまの全体で一つの区役所ではなく、二子玉川や三軒茶屋、下北沢のような主要な街に区役所を設置してよりきめ細やかな行政にすることが可能だ。区民センターのいくつかをそのまま区役所に機能拡大させればいいのである。 

本当は狭かった東京

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 そもそも東京23区は最初から定められた街の範囲ではない。東京の前身は江戸である。「朱引」という江戸幕府が定めた江戸の範囲は現在の東京都心から半径4km圏程度の小さなものであった。これが明治に江戸が東京に改名すると、東京15区として区分けさせられた。さらに周辺合併を繰り返し戦前昭和までにいまの23区の範囲に発展している。


 そして戦前には東京市が存在していた。筆者の祖母は東京市の日本橋出身である。当時は東京全体の面倒を見る市役所があったのである。しかし戦時中に統制の強化に伴い解体されてしまったのだ。特別区という制度は、戦後80年経ってもなお残り続ける軍国主義の残滓なのだ。


 東京23区の地域一体性は戦後まで続いていた。高度成長期の頃までは東京23区の外れにも農村風景が広がっていた。つまり都心に続く「東京の住宅地」は東京23区の中にちゃんとおさまっていたのである。
 しかし急激に人口が集まった結果、外周まで住宅街で埋め尽くし、そのままベッドタウンが多摩に、あるいは都県境を越えて川崎に、川口に、浦安にと広がり、いまでは神奈川県なら平塚までは全部が住宅地になった。そうなると事情は変わってしまうはずだ。


 私は朱引に戻せとまではいわないが、行政の定めた範囲とそこに広がる街の実態があきらかに乖離してしまっているのだから、オフィスビルやタワマンばかりが林立する都心周辺と、戸建ての住宅街が広がるような住宅地は別の自治体として分離したほうがしっくりくるのである。

 




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