国家の虚構性を理解できない日本人
蓮舫氏が都知事選に出馬表明したことで、再び「国籍問題」がネトウヨの間で盛んにさけばれている。この件は8年前に決着がついているが、台湾系日本人の蓮舫氏が都知事に就任すれば、それだけでも日本の多文化社会の進展に大きな影響をもたらすものだと思う。
日本は多重国籍を認めていない。しかし欧米先進国では多国籍は当たり前だ。たとえば人気俳優でもあるアーノルド・シュワルツェネッガー氏は在任中オーストリア国籍を有したままカリフォルニア州知事を務めていた。いわゆる「ゴーン事件」でも注目されたように、フランスのルノーから日産に移ったカルロス・ゴーン元会長は、フランス国籍以外にも出身地のブラジルや逃亡先のレバノンの国籍を持っている。
海外の常識において、国籍と言うのはただの行政手続きの類でしかなく、住民票のようなものに過ぎない。神奈川県に転居して長く住むなら神奈川県民になるように、アメリカに本格的に移住する人は米国籍を取得する。たまに「日本人ノーベル物理学賞受賞者」のニュースがあるが、南部陽一郎氏、中村修二氏、真鍋淑郎氏らは米国籍を取得しているので、厳密には日系アメリカ人1世である。
日本は少子化で人口が減っている。有能な人材が海外に流出することを懸念しているのなら、多重国籍を認めるべきではないかと考える。しかしそれを許さない世論はネトウヨ以外にも「普通の日本人」に広く存在する。彼らは「日本人」であることを過大視しすぎではないかと思う。国家と言うのはそもそも虚構のような存在である。
台湾の「国父」は台湾人ではない
(Wiki)では中華民国が台湾国家なのかというと、それも違う。明治時代から先の大戦まで日本は台湾を統治しており、当時の中華民国は大陸中国の政体だった戦後に国共内戦で負けた国民党軍が大陸から逃れて実効支配して今に至っている。
たとえば中華民国を作った孫文は台湾で長らく「国父」と呼ばれていて、台北には国立国父紀念館(画像)という顕彰施設もあるし、100ドル紙幣の肖像にもなっている。しかし孫文は大陸中国で生まれ、大陸中国で死んだ人である。孫文が政権を率いた当時の台湾は日本だったので、台湾人は日本国籍を持つ台湾系日本人。彼らにとって孫文は外国の政治指導者だったのだ。
政体としての中華民国はあくまで台湾を仮住まいとしており、現実的に可能かはともかく本土の奪還が最終目標だ。いわば大陸に壮大な北方領土を抱えているようなものである。しかし台湾に代々住んでいる台湾人にとっては台湾島こそが本土である。
かつての軍事政権下では、言論の自由のない独裁権力のもと台湾人たちは自分たちを「中国人」であると規定され続けたが、民主化以降台湾人アイデンティティが高まり、今や自身を台湾人であると考える人が6割以上を占め、中国人意識は2.5%しかいないという。
ちなみに台湾は二重国籍を認めている。筆者は台湾に何度も行っており、台湾の友人も大勢いるが、台湾人は留学や移民を経験する人も大勢おり、形式上の国家権力を冷淡にとらえているということがよくわかる。中華民国政府がたまたま都合の良い逃げ場として台湾島を利用しているように、台湾人は中華民国政府に納税し、公共サービスや福祉の恩恵を受け、他国に出ることがより利益になるなら国籍を取得するのである。
アメリカ人のYouはなぜ出身地を州で答えるのか
ところで孫文は辛亥革命前にハワイに渡り留学を経験し、アメリカ国籍を取得していたという。そのハワイは、もともとはハワイ王国という独立主権国家だった。ハワイ語の州歌「ハワイポノイ」は当時の国歌を流用したものであるし、ユニオンジャックをあしらったハワイ州旗も王国時代の国旗である。
人気テレビ番組「Youは何しに日本へ」でアメリカ出身者が出てくると、必ず州の名前で出身地を答えるというくだりがある。アメリカ人にとって合衆国はネイションであり、州はステイトであるが直訳すればどちらも「国」の意味である。台湾人が中華民国ではなく地域の台湾島に帰属意識を持つように、アメリカ人の意識の置き場は州である。カリフォルニア州もカリフォルニア共和国が前身であるし、カナダを挟んだ飛び地のアラスカ州はロシアから買収した領土である。
州によって気候も歴史も場所も違う。そして「銃」のように、ある州では正義の象徴とされるものが別の州では所持するだけで違法な罪となってしまう。そういうアメリカでは無意識のうちに「どこの国の人か」を問われる場面で自ずと州の名前が出てくるようになるのは当然のことである。
では州を超え、合衆国で1つにまとまることの意味は何かということだが、それは「自由の国」に他ならない。冷戦時代のソ連との対立からウクライナ問題でのロシアへの制裁まで、自由主義対専制主義の構図をアメリカは主導してきたが、独立戦争以来自由思想のもとに諸地域が集まって50州の集合体に広がったのがアメリカなのである。
ではもしこの普遍的価値観が理解できなくなった時に何が起きるのかというと、内戦である。かつての南北戦争がそうだったし、トランプ前政権下で「南軍旗」を携えた暴徒が連邦議会を襲撃した事件も、一種のクーデターである。右翼も左翼も、どこの場所に住んでいる人も共通して持つ「自由」意識を逸脱した政治的意図を実力行使するとアメリカは分裂してしまうのだ。
国家と日本の区別がつかない私たち
(Wiki)ところが私たち日本人は国家の虚構性を認識できない。現在の国土である日本列島と日本政府を不可分のもののようにとらえてしまいがちだ。ただの国籍でしかない「日本人」というものを特別視し、ことさら強い帰属意識を持つ人はネトウヨ以外にも残念ながら大勢いる。
しかし「日本国と日本」も確実に違う。戦前は台湾も日本領土であったし、1970年代まではいまは日本国の沖縄県はアメリカ領琉球だった。もとをたどればハワイのように琉球王国という外国だった。北海道の人が本土をさして内地と呼ぶのも、明治に開拓されるまで蝦夷地と呼ばれアイヌの島だった北海道が外地に近い扱いだったからだ。
国家の虚構性の例が靖国神社だ。靖国問題というと旧アジア植民地が反発している歴史問題の面ばかりクローズアップされるが、実は同じ日本人にも地域によっては複雑な感情がある。靖国神社は旧陸海軍が管理する国家の戦没者慰霊施設であったが、その発端は戊辰戦争の官軍側を祀る東京招魂社だった。つまり新政府の西軍は「英霊」となっているが、賊軍扱いの東軍は合祀されていない。西郷隆盛も銅像はあっても西南の役の敵将だったので祀られていない。一方で、戦前は日本国籍扱いだった当時の朝鮮人や台湾人で大戦に徴兵された人たちは合祀なのである。
先の大戦で東北地方から駆り出された兵士は「死んだら靖国で会おう」とは言わなかったという。自分たちの先祖を賊扱いする神社なのだから当然だ。日本国とはつきつめれば明治政府であるが、東北地方はいわば最初の植民地だったともいえる。筆者の両親は東北地方であるが、明治の尾去沢銅山をめぐる井上馨の事件や、福島事件のきっかけの三島県令(県知事)の会津道路建設問題などは完全な植民地扱いである。
安倍政権下、当時の今村復興大臣が「被災地が東北でよかった」と失言して辞任した際に福島県選出の野党政治家が「白河以北一山百文」を彷彿とすると言った。これは藩閥政府が東北を蔑んだ物言いである。今村大臣の地元は佐賀県で、新政府軍の薩長土肥の肥前に当たる。
辺野古問題で沖縄県と日本政府が激しく対立した時、本土が沖縄を蔑ろにしていると県民は訴えたが、同じ本州で東京と地続きの東北地方でさえ、歴代政府は確実に軽視している。思想家・内田樹氏の「東北論」で、東北新幹線の全線開業は東海道新幹線に半世紀遅れているとか、東京で消費する電気を作る原発が賊藩の福島県にあり、その最終処分場が会津が転封させられた下北半島にあるということの政治的意図を指摘したが、今も変わらないと言える。
なぜ神奈川県民意識というものがないのか
(Wiki)筆者自身は生まれも育ちも神奈川県民であるが、この地で「神奈川」にアイデンティティを持つ人はいない。もしも「本県は2つの海が丹沢の山々もあり、横浜のような都会もあって箱根の温泉もある多面性に富んだすばらしい古里だ」と県土単位で地域を自画自賛する人が要れば、それは確実に県知事や県職員といったしかるべき公職者のみである。
なので地元はどこかと言えば、普通は「横浜」とか「鎌倉」とか「茅ケ崎」とか市の名前が浮かぶ。さもなくば「湘南」みたいな地域単位になる。なぜか。それはそもそも神奈川県が歴史的な共同体ではないからだ。県土は武蔵国の一部と相模国であり、その「国境」は横浜市内に走っている。そして「神奈川藩」のようなものはなく県土に無数の藩があって天領も多かった。
もともと神奈川という地名は東海道の1宿場にすぎない神奈川宿だった。そして行政機関としての「神奈川県」の発祥は神奈川奉行所である。幕末の横浜開港の際、アメリカの外圧で「神奈川に港を設置する」ことになったが、街道筋ですでに町が栄えている神奈川宿をそのまま開けば、攘夷派との衝突が起きる恐れがあった。そこで幕府は、当時辺鄙な寒村・漁村でしかなかった横浜村をここも神奈川の一部であるとこじつけ、港の管理や外国事務を行う機関として神奈川奉行所を設置。これが横浜裁判所・神奈川裁判所を経て神奈川府となり、今の神奈川県になっている。
なので「神奈川県とは何か」を突き詰めると、かつて存在した1つの裁判所でしかないのである。そして地名の「神奈川」とは横浜市神奈川区でしかないので、もし「神奈川からやってきたのですか?」と言われても、神奈川区出身かを問われているような気になり私なら「いえ、横浜市民ですらないのですが・・・」と言いそうになる。
神奈川県をつくったのも幕府の政治的意図なら、神奈川県域がいまの範囲で確定したのも明治政府の意図である。よく東京都町田市について神奈川県内との結びつきの強さを理由に「町田は神奈川」とネタにされがちだが、明治時代初期にはほんとうに多摩地区も神奈川県内だった。しかし、町田市のサイトに解説があるように自由民権運動が高まったことを警戒した藩閥政府が、住民を分断させるために多摩地区といまの神奈川を分割したのである。町田駅前は都内なのに神奈中バスしかいない(上の画像)が、歴史的には本当に神奈川だったのである。
(Wiki)一方で同じ市内であるからと言って同一性があるとはいえない。町田のとなりの相模原市といえば、人口70万都市で、県内第三の政令指定都市で住宅密集地のイメージがある。しかし、平成の合併で編入した旧津久井郡は、上の画像のような山や湖が広がっている。
筆者は相模原市の中心街の相模大野駅を散歩していたら、無意識のうちに町田駅まで来てしまったことがある。両者は直線で1km強しか離れておらず、都県境には境川という用水路みたいな小川があるのみでもはや「1つの街」である。しかし一方、同じ県内、同じ市内でも、津久井が相模原かと言われると、合併後20年近く経った今なお、疑問符しかない。若い相模原市出身者でも、津久井が地元という感覚はおそらくないだろう。
相模原が津久井を統合したのも、合理性があるからだ。田舎はどこもそうかもしれないが、山間地域の津久井には過疎の問題があり、小さな郡部のままであるよりも政令市という強い権限のある大都市自治体の傘に入ることの方が恩恵にあずかれるメリットがある。一方津久井郡はダム湖がたくさんあって交付金で潤っているので、旧相模原市の側には税収を増やせるメリットもある。通常は豊かな都会が田舎を支える構図だが、津久井に関しては「地元の富が外にもっていかれてしまう」ことを理由に編入反対する声すらあったほどだ。
したがって相模原市民は形式上同じ市内の津久井や他県の町田の存在を通じ、市とか都県という行政が地域実態と一致しないことを体感で分かるわけであるが、日本国も同じだということを我々はなかなか認識しづらいのである。
欧米のようなゆるい国境意識になるべき
ヨーロッパの場合EU域内は通貨が同じで入国審査もないので、他県に行く感覚で旅行や出張の往来が当たり前である。もちろん歴史的には戦争だらけだったので複雑な感情もあろうし、政府間が外交問題で軋轢が生じることもあるかもしれないのだが、現実に地域を生きる人たちにとっては国境はただの線でしかない。筆者は数か月前にオランダに滞在したが、ホテルの駐車場にはポーランドナンバーの車が泊まっていたし、部屋のテレビでイギリスBBCの国内向け放送がなぜか見ることができた。
私は日本国はもっと開かれる国にしなければ生き残れないと考える。昔は自国の内需だけで食えたが、今後少子高齢化で人口減少がさらに進めば単独では食っていけなくなる。石油が出るわけでもなければ、国土が狭く食料自給率が高いわけでもない日本は、他国との経済交流の中で国を発展させ続けなければならない。「日本人」や「日本国」で閉ざす時代と決別しなければいけない。
以前実業家の堀江貴文氏が台湾や韓国とのプロ野球の統一リーグを作るべきだと言っていた。私はリベラルなので堀江氏には批判的なことが多いが、この点のみは一致する。アメリカの大リーグにはカナダ球団もあるんだから、昭和のナイター中継しか娯楽がなかった時代の高齢者しか見ないプロ野球ビジネスは伸びしろがないが、周辺国と一体でやった方が市場はさらに広がる。
筆者はカナダに留学した際に台湾人や韓国人の多くの友人に会った。彼ら彼女らの中には、現地の移民の親戚の家に居候をしている人もいた。身近な移民の存在を通じ、自国と他国の連続性を認識できるわけである。しかしわれわれ日本人は惜しいことに現地の日系人社会とは断絶しており、実際に自分が海外に出なければ、日本人・日本国とそれ以外に心理的壁を作る感覚の愚かさに気づけないのである。