与野党イデオロギー闘争の終焉
自民党は、民主党政権下で下野して以来15年近く「反左翼」路線を鮮明にしていた。その先頭に立っていたのが暗殺された安倍晋三元首相で、石破氏は安倍一強時代に有力議員でただひとり流れに逆らって安倍氏を批判し、自身の派閥を失うほど冷遇されていた御人だった。
立憲民主党にしても、枝野幸男氏が党を旗揚げして以来のリベラル勢力と、後から合流した野田氏には隔たりがある。実際SNSでは左翼の間での野田叩きが吹き荒れ続けていて「立憲はもう終わった」という声もあるほどだ。ちなみにこの手のリベラルは2018年の自民党総裁選では安倍支配に立ち向かう石破氏を応援していたし、ネトウヨは石破叩きに燃え続けている。
民主党政権から自民党・第二次安倍政権にかけて、与野党第一党はともに思想の左右できっぱり分かれていた。自民党の所属議員はネトウヨ同然の過激な主張を平然とするようになり、立憲民主党は旧民主党以来距離のあった共産党も巻き込んだ民共共闘路線をとってネットのリベラルの熱い支持を受けた。
そうした構造は、今回の2つの党首選によって終止符を打たれたのである。冒頭引用した初の党首討論でも、互いが罵り合ったり会話がすれ違うことなく、フェアプレイな議論が成り立っている様子が印象的であった。「安倍VS枝野」ではこんな光景はありえなかっただろう。夫婦別姓に積極的な石破氏は右翼ではないし、原発容認路線を掲げる野田氏も左翼ではない。党首がそれぞれ中道保守・中道リベラルになったことで、国会で質の高い議論が行われることが期待できる。
国民と距離が広がる「思想の強い人たち」
民主党政権や安倍政権では、下野によってこれらの党を思想の強い人たちが支えていた。2012年の民主党政権末期に「安倍救国内閣」を訴えたのはチャンネル桜などの保守系のデモ隊で、総裁選さなかの自民党本部には大量の右派系市民グループの日の丸デモが集まった。安倍が権力を持つと、今度は「枝野立て」の掛け声もと反安倍リベラルの支えのもと立憲民主党が旗揚げされた。
こうした路上の活動家とSNS上の膨大な政治的なアカウントが連動した社会現象の存在が、既得権益を失った大政党の後ろ盾になり、権力を奪還するとネットや路上はさらに過激な声が叫ばれるようになった。これは何も日本に限らず、アメリカでは極右のトランプ前大統領支持者と、資本主義が国是の国で社会主義者を自認するバーニー・サンダースの支持者の衝突が激化したし、イギリスではボリス元首相とコービン元労働党代表の対立軸に見られる現代特有の現象である。
世界各国が思想分裂する中ではあるが、実際にはどこであれ国民の大多数はノンポリの中道である。右であれ左であれあまりに現実離れした政治家が権力を持つことは嫌うものの、かといって反対に振り切れるまではいかない。そうした政治の左右対立合戦が10年以上進む中で、中道層が政界そのものと乖離していった面も否めなかった。
思想に関係しない政策こそ日本の重要課題
石破氏も野田氏も、自陣営の思想集団を喜ばせたり、あるいは反対側の逆鱗に触れたりする政策を個人として全面に掲げる人ではない。すると、左右にとってはどうでもいいが多数派国民にとって関心の高い政策への取り組みが前進する可能性はある。たとえば石破氏は地方の人口減少問題に強い関心があるが、「地方を守る」ということに右も左も本来ないはずである。
本来の政治では保守が大企業の側に立って大都市優先になりがちで、リベラルこそ弱者の味方で農村の側に立つはずだが、日本では多くの左翼は東京西側在住の富裕層なので左派の間で地方問題はあまり主要トピックとして流行らない。それよりは自分が住んでいる杉並区の岸本区長の実績とか、武蔵野市の住民投票条例問題の方が盛り上がりやすい。あるいは地方社会全般に通じる課題をすっ飛ばして福島原発や辺野古と言ったピンポイントの問題に飛びついてしまうのである。
こうした思想を問わず共有する課題はいくらでもある。少子高齢化問題もそうだし、防災なんかも同様だ。現に市議会レベルであればこの手の政策について共産党も自民党も一緒に賛成していたりする。ただ、この10年以上は、右翼・左翼が飛びつきやすくヒートアップしやすいテーマばかりが目立った結果、これらが国会のアジェンダの中心に据えられてまともに論じられることはなかった。その結果、高齢化問題は解消しないまま2025年問題が到達しつつあるし、能登の被災地があるともいえる。
陰謀論によって結合していく左右
一方で、並行して奇妙な現象が起きている。それはかつて安倍礼賛・あるいは反安倍についていた対立する人たちが、いつのまにか結合していっているということだ。
すべての原点は新型コロナウイルスである。あの時安倍政権は「疑似ロックダウン」を行い、左はこれでは生ぬるいと欧米並みのPCR検査の充実を訴えた。新型コロナウイルスは実在する、危険な感染症である。しかしこの頃から、いわゆるコロナは風邪だというノーマスク・反ワクチン系の言論が左右両陣営に広がるようになった。かつては産経新聞辺りと一緒に安倍礼賛・左翼叩きをしていた一部の保守媒体が、産経新聞や安倍政権でもドン引きする反ワク陰謀論を唱えるようになり、本来敵だった極左も薬害問題の流れで乗っかるようになった。
その後は、ロシアによるウクライナ侵攻である。誰がどう見ても悪いのはプーチン大統領であるが、専制主義的な独裁体制にあこがれを感じるのかタカ派系の活動家や言論人が親露的主張をするようになり、いっぽう従来の冷戦構造以来の反米親露で極左もプーチンの側につき続けている。
結果、民主党政権~第二次安倍政権には絶対にあいまみえなかった左右の極端の論者が同じ主張をして共闘したりするようになった。そうした流れが進むほど、極右ならかつては仲間みたいだった自民党と離れるようになり、極左なら野党共闘の枠組みからそれていったのだ。
新しい対立軸は何か
東京都知事選では、迷惑系の政治団体が主要な候補に選挙妨害を行い逮捕される事件があった。これもいわゆる陰謀論の流れである。大本の根っこが左だろうが右だろうが関係なく、相手にされなくなると、主要政党の全てを敵に回すようになるということだ。
ここに新しい対立軸が見てくる。それは「公正な存在か、不公正な存在か」の二択である。自民党が石破体制で健全化するなら、そこで起きる与野党の攻防は公正なもの同士の政策論争になる。モリカケサクラの問題を解決しないまま凶弾に倒れて裏金問題の置き土産を残した安倍元首相に公正性の問題があったのは事実であるし、不公正な政権として自民党打倒を掲げた枝野の「たたかう野党路線」も当時は正しかったが、これは今では通用しない。
となると与野党問わず多数国民とともに「公正な側」が不公正を叩くことが重要になる。ネトウヨを味方ではなく敵に回している石破氏にはヘイトスピーチに対する実行力のある対策を実現できる可能性もあるし、陰謀論によって過激な主張をし、行動をエスカレートさせていく国内外の厄介者(反ワクデモ隊に限らずプーチン政権も含まれる)に国会全体の意思として立ち向かうこともできるのである。
そしてこの対立軸の転換に気づかず、自分の居所を「左か右」に置き続けると、彼らは無意識のうちにテロリストになってしまう可能性もあるのだ。