人口が多ければ都市は繁栄するのか

 

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 大都市にとって人口が多いことはあまり重要ではない。当然のこととして、人が少ない過疎地ほど寂れている。しかし一定の人口規模があった場合はむやみに増やしてもメリットは少ないと言える。


 たとえば東京都区部の人口は今では1000万人近いが、約20年前の1995年には800万人を割り込んでいた。では90年代の東京がシャッター商店街だったかというとそんなことはない。当時は渋谷が「若者の流行の発信地」と呼ばれ、バブル崩壊後とはいえまだ東京にアジア一の大都会の輝きがあった時代だ。


 ちなみにアジアの国際金融都市といえば今ではシンガポールに切り替わっているが、シンガポールの総人口は500万台程度と東京の半分レベルでしかない。海外の主要都市の人口は意外と少ない。世界一の大都会のニューヨーク市すらも880万人だし、パリなんて200万都市である。


 つまり「都市格」を示すには一定レベルの人口が必要だが、それ以上になると数百万人いようがいまいが誤差の範囲で、重要なのはいかに「質」を高めるかである。無駄に人が多いだけでは、通勤ラッシュや家不足のような過密の弊害ばかり発生し、かえってマイナスである。

首都圏郊外の理想は20万人

 以前も触れたように横浜市は人口が減少傾向にある。市としては人口日本一の巨大都市ゆえに公共サービスの質が低いのだ。その先の藤沢市、茅ケ崎市など都心から遠い自治体の方が人口は増えていてQOLが高い。


 辺鄙な田舎は不便だが、過密地帯であれば窮屈なマンションにしか住めない。首都圏において理想的な人口規模は私は20万台だと考える。さきに触れた茅ケ崎市は人気エリアの湘南海岸が目の前でレクリエーション環境で人口25万人だ。千葉県流山市は子育て支援の分厚さからファミリーに人気で、人口21万人である。埼玉県ならば流山からも近い草加市が人気で人口も25万と茅ケ崎市程度である。


 人口が10万台程度だと、首都圏だろうと自前の警察署がなかったり、大型スーパーも進出して来ず、公共機関や買い物環境で近隣自治体に依存するようになる。しかし20万もあると不便のないくらいには揃っており、ゴミゴミするわけでもない。あるべく繁栄を実現するには、このくらいの規模がちょうどよいと言えるのだ。

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人口減少時代の日本に必要なのは「適正化」

 日本国の総人口は2008年をピークに減少を続けている。人口が減少することを国力低下とみなし、このままでは国が亡ぶと嘆いている声をSNSで見ることもあるが、これは間違いではないかと私は考える。明日にでも日本人が全員消滅するわけではない。


 高度成長期以降の東京ではずっと「多すぎる人を減らす」ということが命題だったが、今世紀以降の再都心一極集中のせいで実現できていない。800万人割れでも電車は混み狭い道を人がごった返していた。東京でも人が減るようになれば、それは適正化のチャンスである。


 私はシンガポールが東京の地位を奪うことができたのは、リー政権の計画的な政策や外資系に商売しやすい税制なども要因にあるが、過密過ぎなかったことがよかったのではないかとも考えている。小さな島だが窮屈さは感じない。道幅が広く、広場や公園のような空間も多い。東京の方がよほどせせこましい。


 アメリカ経済や世界のITをけん引するGAFAの本社も、ニューヨークのど真ん中ではなく西海岸の広々した郊外に大学キャンパスのような贅沢な庭のあるオフィスを構えている。ちなみにサンフランシスコの人口はたったの87万人だ。コンクリートジャングルではスティーブ・ジョブズのような天才起業家は生まれなかったのである。これくらいのゆとりのある環境を日本でも実現した方が、煮詰まった過密環境よりもむしろ創造性を発揮し、都市や国家の質的発展を実現できると考える。








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