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3月, 2024の投稿を表示しています

北陸新幹線延伸は「東小浜で打ち止め」でもいい

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(Wiki)  先日福井県の敦賀駅まで延伸開業した北陸新幹線。しかしその先のめどは全く立っていない。時の愚かな政権が現実的な米原ルート案を蹴って 絶対不可能な小浜・京都ルートでの決定をごり押ししたため だ。  しかしこの国のことだから、政権交代でも起きない限りはどんなに間違った荒唐無稽でも決まったものは仕方ないと固執する可能性は高い。かつての戦艦大和や今やっている辺野古新基地建設なんかもそうだ。すると 米原ルート派をあきらめさせるために作れるところには手をかける可能性 は大いにある。  その場合、京都の山岳地帯や地下を突っ切るトンネルは論外にしても、敦賀の次の駅である小浜線の東小浜駅(画像)までの延伸は可能だろう。この沿線は開業済みの福井県内区間と同じような地形の農村地帯が続き用地買収はもちろん技術的な問題もない。距離も短いので工期だって短く済むだろう。  そうすると次に北陸新幹線に考えられるのは、「東小浜で永久に打ち止め」という末路である。東小浜から先の線路は現実の壁にぶつかってしまったので伸ばすことはできないが、米原ルート潰しをすることには成功することはできる。この国には十分ありうることだ。 小浜線が廃線危機から一転、丹後~東京の最速ルートに (Wiki)  敦賀終着の現状以上に中途半端すぎるだろう。しかし、仮にそうなっても悪いことだけではない。まず小浜線が新幹線接続路線となって廃線危機を免れることになる。  小浜線は敦賀から小浜を経由して京都府の東舞鶴駅まで結ぶ路線である。しかし利用実態は地域輸送のみに特化しており、沿線環境は典型的な過疎地。JR西日本屈指の赤字路線として有名で存廃が危ぶまれ続けている。だがもし東小浜駅に新幹線が来れば、東小浜駅で下車した客が沿線や丹後地方に至るために小浜線に乗るようになるわけである。  現状、東舞鶴~東京間は京都乗り換えで東海道新幹線を利用して4時間前後かかる。一方、北陸新幹線で敦賀~東京間が最速3時間8分。敦賀~東小浜間が10分程度とし、あとは東舞鶴までノンストップの新幹線リレー号を走らせれば全行程を4時間以内に収め、現行より早くすることはじゅうぶん可能だ。東小浜~東舞鶴の走行距離は敦賀~長浜間に相当し、特急「しらさぎ」なら27分で結べる。  ちなみに敦賀止まりの現状でも 今年秋から敦賀発城崎温泉行きの観光特急 が走ることを...

東京の空は「ムダな国内線大幅削減」で世界ハブ化すべき

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  (Wiki)  昭和から平成まで長らく、東京の空の玄関は「国内線は羽田空港、国際線は成田空港」というすみわけがあった。ところが民主党政権下の2010年に新滑走路ができた羽田空港を再国際化。新たにつくった国際線ターミナルは就航路線を増やし続け、そこでは間に合わないので既存の第2ターミナルにも国際線が振り分けられるようになり、国際線ターミナルは「第3ターミナル」に名を変えた。  背景にあるのは国際的なハブ競争の激化だ。東アジア最大の国際空港と言えば近年は韓国の仁川空港の存在が大きい。仁川の規模に東京は勝てない。日本から欧米に行く時に仁川経由で飛ぶことはしょっちゅうである。これは国際的な都市間競争に負け、日本の地位低下につながる由々しき事態だ。  事実、欧米から東京に向かうにも仁川乗り換えが必要だから、だったらソウルにアジア拠点機能を集約すればいいという発想になり、東京オフィスを撤退させる世界企業は増えている。欧米メディアが日本のニュースをソウルのスタジオから伝える光景も当たり前になった。東京発着の国際線を充実させることは、日本の国益を考えても重要なことなのだ。  しかしキャパシティには限りがある。これからさらに滑走路を増やすにも用地買収と高額な費用、時間が必要であり、すぐには便数を増やせるものではない。では既存の状態でどうやって全世界の就航都市や便数を増やすかというと、 無駄な国内線の大幅削減 が必要ではないかと私は強く考えるのだ。 「新幹線で4時間圏」から飛行機全廃を (Wiki)  かつては飛行機が対東京で一番手っ取り早い移動手段という地方都市が多く存在した。しかし平成以降、日本全国で新幹線網が整備され続けている。いわゆる「4時間の壁」に収まる範囲で新幹線で行ける都市は多くなっている。  例えば北陸新幹線沿線では2015年の金沢開業後に 富山・小松両空港は羽田便が3割減となった という。いわゆる「金沢ブーム」が起きたのも、それまで飛行機しか移動手段がなかった時代には旅行先として金沢が思い浮かぶことのなかった人が、新幹線で1本で気軽に行くようになったのだ。  そこで新幹線で4時間以内に行ける場所であれば、飛行機は廃止すべきではないだろうか。実際、東京~仙台・新潟は昭和の東北・上越新幹線開業によって定期便を廃止しているのだから、百万都市の仙台よりもはるかに都...

藤沢市分割論

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  (Wiki)  東海道線の下り列車に乗ると、大船、藤沢、辻堂、茅ケ崎、平塚の順に各駅停車する。このうち大船は鎌倉市で、藤沢はもちろん藤沢市。茅ケ崎駅は茅ケ崎市で、平塚駅は平塚市にある。では辻堂駅はどこか。辻堂市?違う、藤沢市なのである。土地勘のない多くの人は、通り過ぎるだけで辻堂が藤沢の一部だとは気づかない。  無理もない。いずれの駅間も4~5km程度離れていて、同一市内の藤沢・辻堂間も4kmある。途中に引地川という川が流れていて、街が別個に分断されていることは車窓でもわかる。私が上り列車に乗る時は、川を越えると藤沢の市街地が始まりだし、藤沢駅にまもなく到着するのだと感じるものだ。  では辻堂に街がないかというとそういうことはない。駅前には昔から商店街があったし、近年は北口の大規模再開発により大型商業施設やオフィス群・総合病院などが満たされるようになったので、辻堂住民が藤沢駅に出る必要性は相当薄れた。  このような拠点となる街が藤沢市内にはもう1つある。それが市北部の湘南台駅だ。元は小田急江ノ島線だけの小さな駅だったが、1980年代に図書館や体育館・文化センターといった市の文教施設が相次いで作られ、90年代には慶応大のキャンパスや相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の2路線が乗り入れだし街は急発展。駅周辺は原野だった時代のことなど思い浮かばないような市街地が広がっている。  ちなみに藤沢~湘南台駅間は7kmも離れている。湘南台住民にとっては買い物をするにしても公的機関を利用するにしても湘南台駅前で済むことが多く、半端に遠い藤沢駅にわざわざ行っても大した用事はない。そしてどうせ出るのならば、相鉄か地下鉄で横浜の中心街に行くか、いっそ小田急で新宿に出た方がいいのである。最近は相鉄でも都心に行けるようになっているから「藤沢駅を東海道線に乗り換えるために利用する」機会さえほとんどなくなっている。  これらの街の発展も奏功し、藤沢市は人口44万都市に発展した。いまや市としては横須賀を抜き県内第4都市である。だが市域が広く、これだけ市内の街がばらばらになったものを1つにまとめる必要はあるのだろうかという疑問が同じ湘南の人間としてある。 近隣市・区は便利なコンパクトサイズが当たり前  藤沢市の面積は70km2である。その奥の茅ケ崎市が36km2、北の大和市に至っては27km...

野党共闘を阻む「民主党」の亡霊

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  野田佳彦氏、妄言にもほどがある。立憲民主党に投票してきた人間が、今までどんな思いで「鼻をつまんできたか」を全くわかっていない。 自民党や維新に政治をやらせたら、立憲主義も民主主義も壊れると思うから、立憲民主党に投票した人は多いでしょう。なぜ絶望させるのか。 https://t.co/vc6etvzMc6 pic.twitter.com/CeJz3b8H3O — 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) March 24, 2024  いま自民党は政権復帰後最大のピンチになっている。安倍晋三元首相暗殺に端を発する旧統一教会問題に、最大派閥・安倍派の裏金問題などの重大な課題が岸田文雄首相のもとで一気にあらわとなり、支持率はワーストを記録し続けている。これらは戦後の長きにわたる歴代自民党政権でたまりにたまった腐敗のツケが限界に達して露呈したものだ。岸田が悪いんではなく、自民党が悪いのだ。  時の政権単体の問題なら自民党総裁の首を変えて路線を変えればいい。しかし自民党そのものが組織的に腐りきっているなら政権交代するしか政治の健全化や変化は見込めない。じゃあ今の野党第一党・立憲民主党に変えればいいかというと、まるきり信用できないというのが多くの世論ではないか。  たとえば最近も、立民の最高顧問である野田佳彦元首相が次期衆院選での「維新とのすみわけ」を提唱しリベラルの間で物議をかもした。これは選挙をただの政局ゲームとして考えれば正しい戦略だ。 日経新聞の最新の世論調査では衆院選の投票先として自民党が28%、立民が14%、維新は13% となったそうだ。数字だけを見れば、両方足せば27%と自民に拮抗し、政権交代も現実的な視野に入る。  だが小泉政権のようなネオコン政党である維新と、共産党とも連携していた立憲民主党はイデオロギーが真っ向異なるのだから両者に溝があるのは当然である。維新の側も先の党大会で野党第一党を目指す方針を掲げており、立民との協力には否定的だ。  そもそも民主主義国家における政党というものは、思想や主義主張の違いによって分かれ、それぞれが自分たちの正しさを掲げることで党勢拡大を競い合っているもののだ。なので維新支持の保守から見ても野党共闘を呼び掛けてきた左翼から見ても、思想の違う両党をくっつけることはナンセンスである。しかしそういうことをやった方...

JR民営化は間違いではない。区割りが間違いだった

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   最近SNS上でJR批判が相次いでいる。首都圏でみどりの窓口の廃止が急増し、東京都心にも無人駅が出現している。有人駅であっても、駅構内からキオスクがなくなり、ゴミ箱がなくなり、時刻表や時計がなくなったり、しまいには案内看板が光らなくなった。京葉線の通勤快速が廃止された件は千葉県の大反発を招いたが、神奈川県の東海道線でも通勤快速はなくなった。いずれも有料特急へお客を誘導するためだろう。  もっとひどいのはローカル線だ。おととしの宇都宮地区では、10両編成でやってきていた下り宇都宮線が減車で3両になり、便数も減らされて朝のラッシュ時で激しい混雑に見舞われるようになった。こうした減車・減便は各地で行われていて、末端レベルまで行くと廃線の可能性も現実味を帯びてきている。廃線危機の地域からすれば同じ地方でも宇都宮は線路が剥がされないだけマシともいえるのだ。  このことからJRの在り方を問う声が広がっていて、中には「国鉄復活」を求める意見さえある。むろん旧国鉄がサービスレベルが著しく低く問題だらけだったことは言うまでもない。 民営化自体は正しかったが区割りが間違っているというのが事実 である。 一番稼いでいるJRは東日本ではなく東海   (Wikipedia)  最近のJRがリストラ策に明け暮れているのは内部補助の運営モデルが破綻したからだ。JR東日本では、膨大な人口を抱える首都圏で稼いだ収益を、地方ローカル線区間で補填することで路線網を維持するやり方を長年とっていた。人口が右肩上がりの時代は、都会の稼ぎが増え続けるのでそれを田舎の赤字ローカル線に充てればよかった。  しかしコロナ渦で通勤ラッシュが消えたことで稼ぎがなくなり、有無を言わさないリストラが行われるようになったわけだ。そして日本はどのみち人口減少社会で首都圏の稼ぎも頭打ちになっているから、将来やる予定だった施策がコロナ渦で前倒しされたという構図もあるのだ。  ところで日本のJRで最も稼いでいる会社はどこだろうか。誰もが東日本だと思うだろうが違う。実際はJR東海である。「地方会社がなぜ」と思うかもしれないが、JR東海は東京・名古屋・大阪の3大都市を結ぶ東海道新幹線というドル箱があり、ぼろ儲けができるのである。  そしてJR東日本と東海の最大の違いが管轄エリアの範囲だ。東日本は関東地方と東北地方の全域に加え、...

ファシズムですらない日本

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   「高齢者は集団自決」発言で大炎上した経済学者の成田悠輔氏が国会でやり玉に挙がっている。れいわ新選組・山本太郎代表が成田氏の発言を 「極めて不適切」とした岸田首相の答弁 を引き出したほか、 立憲民主党の所属議員も鈴木財務大臣 に徹底追及。成田氏は財務省の広報誌に起用されており人選の在り方が問われていた。  しかしこの一件で、岸田・鈴木両氏があっさりとつけ放したことに驚いた野党支持者は多かったのではないだろうか。いま、リベラル層の間では陰謀論的に「弱者叩きや非常識な発言をする論客が意図的にマスコミに持ち上げられ、政府がそれを操っているのではないか」という疑念が広がっている。西村博之氏などもそのたぐいだ。ようは生活保護の切り捨てなど、そのままいきなり断行すれば多くの反発を招きかねない弱者圧殺の政策をやりやすくするために、マスメディアにその手の発言をする人をあえて重用させることでジワジワと大衆世論の誘導を図っているということだ。もしそれが事実なら、自民党政治家お得意の詭弁をひたすら用いて成田氏を庇ったはずだ。  ところが実際にはそういうことはなかったのである。成田氏がこうもあっさり切られたということは、省庁の広報担当者も企みがあったわけではなく、たまたまテレビや書店の新刊コーナーでよく見かける論客である成田氏を深く考えずに起用しただけなのではないか。そしてテレビや出版界も、陰謀論者が言うような「官房機密費で情報工作をやっている」なんてことはなく、たまたまほかに売り出せるような論客がいないので、成田氏を用いている可能性は高い。斜陽産業であるマスコミにとって、安く稼げることが一番いい。世界的高名な学者なんかはワイドショーに出そうにもギャラは高くつくし、そもそも本業の研究が忙しくて出てくれないだろう。  2012年の第二次安倍政権以来、「野党共闘」を呼びかけるリベラル層の間では 日本はもうファシズム状態になったのだ という現状認識が一般化していた。自民党はナチ党や中国共産党のようにトップの安倍が絶対権力を持ち全体が安倍一色に染まり、マスメディアは経営幹部が安倍氏と会食を繰り返すことで安倍礼賛だけになり、このままの勢いで憲法改正になって日本は戦前回帰する・・・というものである。だから国会前に大規模なデモが集まって、立憲民主党と共産党をくっつけてでも政権交代をしようと本...

東日本と西日本で異なる「東京コンプレックス」の根源は戊辰戦争

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   (Wiki)  中央集権国家である日本。その首都で最大都市である東京に対して、地方の人たちの多くは歪んだ感情を抱いている。いわゆる「東京コンプレックス」である。しかしそれは都会対田舎という単純な構造ではない。  私は首都圏出身ではあるが、両親は東北出身で親戚が北に多くいて、大学時代に関西人の友人たちと出会っている。日本各地に行ったりして、人々の東京に対する言及を観察しているうちに気づいた。それは 東日本と西日本でコンプレックスの構造がまったく逆である ということである。 カメレオンのように東京に染まる東日本  まず親戚のゆかりもある東日本では東京に染まりたがる感覚が本当に強い。分かりやすい例が言葉である。祖父母の家のある東北地方は日帰り圏ではなく文化的には遠いため、祖父母世代や年配の親戚(団塊世代以上)は相当なまりがきつく、外国語のようにさっぱりわからない。しかし、 若い世代ほどよどみのない標準語を喋る のである。何しろ還暦を過ぎた両親さえ自分の世代は方言になじみはなかったという。  テレビの影響である。東日本の地方では、テレビの普及によって東京式の標準語が伝播され、それに染まる。そして「東京のテレビが伝える文化には染まるもの」という常識が形成されている。テレビや広告代理店がどんちゃん騒ぎした流行現象は、必ず少し遅れて東北などの東日本の地方に流入されるのだ。  しかしそれは首都圏出身の私から見ると違和感があることだ。テレビが伝える現象は必ずしも東京の街の人が本当に注目していることとは限らない。21世紀以降はテレビ離れが進んだので東京の感度の高い若い世代の関心事ほどマスコミ主導の商業文化と乖離している。ちゃんと一致していたのはタピオカブームくらいじゃないか。  何年か前に盆休みに東北に行ったときに久しぶりにいとこと会ったら、よくわからないJ-POPのアーティストにハマっていたようで話が全くかみ合わなかったが「東京の方がよく分かるんじゃないの」と言われたものだ。当時の私はEDMの洋楽しか聴かなかった。ちなみに宮城の女子高生のスカートがやたら短いのも、「東京はミニスカのコギャルが多くいるから」という都市伝説みたいな発想が根拠にあるそうだ。東京はむしろ長いだろうに。  2000年代に日本ハムや楽天の球団進出があるまで北海道と東北地方にはプロ野球チーム...

なぜJR相模線は複線化をしなくてもいいのか?

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  (Wikipedia)  神奈川県を走るJR相模線。湘南・茅ケ崎駅と県央の橋本駅の間を南北に結ぶ路線ながら、全線単線で「首都圏のローカル線」と呼ばれている。複線化を求める声は一部自治体などにちらほらあるものの、具体的に着工する気配はない。  複線化が難しい理由として大都市部のため用地買収が難しいことが考えられそうだが、これは理由にはあたらない。線路沿いは茅ケ崎市や相模原市をのぞけば田んぼ地帯のような場所が多いし、何しろ東武野田線や関西の奈良線(JR)のように大都市圏でも最近複線化に取り組んでいる路線はある。  ではなぜ相模線が複線化をしないのか。それは そもそも大量高速輸送の必要性が今の路線状況では存在しない からだと言える。 有力ターミナル駅を持たず都市間需要の少ない相模線  複線化が行われた野田線や奈良線と相模線が異なるのはターミナル駅の不在だ。野田線の場合、船橋駅~柏駅という利用者も多く百貨店もあるような有力ターミナル駅を結んでいる。船橋市は千葉県下二位の65万都市、柏は43万都市と大きい。それに対し、相模線沿線の茅ケ崎市は25万都市にすぎないし、海老名市は14万。橋本駅のある相模原市こそ政令指定都市だが、平成の大合併で出来た市であり、橋本地区のある南区は23万人しか住んでいない。  これらは地域の中心核となる市・区や駅ではない。湘南の中心は茅ケ崎ではなく藤沢であるし、相模原市や橋本駅より都県境を越えた町田の方が有力な街だ。そして藤沢と町田を結ぶ小田急江ノ島線はもとから複線で多いに賑わっている。県土を縦断して有力都市同士を結ぶ路線としてはこっちがあるので、相模線の利用ニーズは沿線に徹底特化したの地域輸送に限られるのである。  奈良線にしても、京都市~奈良市という県庁所在地同士の代表ターミナル駅を結ぶ有力路線で、なおかつ古都で旅行者も多く利用することもあり、その複線化が求められるというわけである。そして関東人の我々には奈良も京都もただ古都としてみなされがちだが、京都市は100万都市で企業も多く経済活動が盛んで独自の都市圏を形成している。その移動手段のJRが単線ということはあまりに不便だったのだから、複線化は当然である。 路線の実態は「路線バス」替わり  先日、私は相模線を全線乗り潰しを行った。休日の昼間ではあったが、驚くのは客層が3回も切り替わったこ...

県庁所在地から拠点がなくなる

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  (Wiki)  これまではどんな田舎の県でも「県庁所在地だけは栄えている」という構図があった。県内すべてが寂れていても県都であれば人口20万はあり、経済的にも活気がいたのが平成時代まで常識だったのだ。  しかし、今世紀に入ってから状況は一変。県庁所在地だろうと人口減少が発生し、中心街はデパートもなくなったシャッター商店街、企業の営業所も整理統合によって撤退しているのでオフィスは空きビルだらけになっている。鳥取、甲府、山口、松江では平成の大合併を経たにもかかわらず、すでに人口20万割れが起きている。  今後の日本では、県庁所在地から県の拠点機能が失われることは明白だ。そこで今後、何を失っていくのかを予想していく。 ①銀行  まず考えられるのはメガバンクの閉鎖だ。純然な県都ではないが、人口20万台の「県庁所在地クラスの地方都市」ではすでに撤退が始まっている。みずほ銀行は2020年に福岡県久留米市から、2023年には北海道函館市から撤退している。いずれも札幌市や福岡市に統合されたのである。そうは言っても久留米市なら30万を少し割れた程度の人口規模で、鳥取市などよりははるかに人が住んでいて産業も盛んだ。ここでさえダメなら県都撤退は下から進んでいく可能性は高い。するとみずほが消えれば、ライバルのUFJが消え、大手メガバンクが全滅するのはあっという間だろう。かつてデパートが全滅した流れに似ている。  もちろん地方都市では地元に根を下ろす地方銀行が優位というのも事実だが 菅義偉前首相の発言に象徴 されるように地銀再編はすでに始まっている。 山形の荘内銀行と秋田の北都銀行の合併のニュースが話題になった が、こんな風に隣接する県同士の代表的な銀行が1つになるという流れが生じた時、新しい本店はより優位な県都に移ることは明らかだ。するとメガバンクもなければ地銀も支店しかない県庁所在地が生じるようになる。地銀であっても支店があるだけマシということだ。 ②大学  地方都市は少子化・人口減少が進むことで学校の統廃合が進んでいる。ただでさえ大学進学率も低いことを考えれば大学消滅の可能性は極めて高い。すでに鳥取市のように私立大学を失った県庁所在地は存在する。学費の高い私学ほど敬遠され、地方では定員割れも目立つ。  もしも今後、小泉竹中路線のような新自由主義の政権が台頭すれば国立大学のリ...

「アジアに抜かれる日本」を嘆く者はナショナリストと紙一重

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このポストから滲み出る 「日本はアジアの盟主でなければならない」 感は異常 https://t.co/ErBWcPQlh4 — 蒸気宇宙船 消費者は反社会勢力 (@stespashi) February 22, 2024  いま熊本ではTSMCの半導体工場進出「特需」で盛り上がっている。だがこれに水を差すような声も聞かれる。それが「東南アジア企業の工場に喜ぶなんて、日本も落ちたものだ」という発言で、主に左翼の間で好まれるネタだ。  私はこの論調に違和感しかない。そもそも半導体製造は世界最高の技術を結集したもので、綺麗な水な高度なインフラが必要なものであるから、発展途上国に作られるものではない。TSMC工場は先だって2020年からアメリカ・アリゾナ州を建設しているし、ドイツにも進出計画を進めている。 アメリカやドイツは発展途上国なのか? そんなことはないだろう。ちなみに半導体に限らなければ自動車分野などの日本企業の工場は欧米にはいくらでもあるし、それらがバブル崩壊やいまの円安を理由に全滅したという話は聞かない。  もし仮に大東京のど真ん中に台湾企業の工場ができ、それまでスーツを着ていたサラリーマンが「こっちの方が給料がいい」と工場労働者に転職しまくっているのなら、「台湾に抜かれた日本」という図式は確かかもしれない。しかし熊本はしょせんは地方都市であるし、TSMCのある菊陽町は熊本市の外れのひたすら田んぼだらけの郡部である。そんな九州の田舎が、台湾のすべてより上回っていなければおかしいという固定観念の方がおかしいのである。筆者は熊本にも台湾にも行ったことがあるが、高層ビル群に高度な地下鉄網のある主都台北市の都市格はどう考えても熊本市よりはるかに上にあるし、九州最大の福岡市よりも上等な都会である。  この手の「台湾企業に凌駕される日本」を嘆く声は今に始まったことではない。2016年に経営不振だったシャープが鴻海に買収された時もそうだった。「台湾企業なんかに買われるなんて、日本の家電業界も落ちたものだ」というような論調だった。そしてそれは台湾に限らず「いまや日本の家電メーカーすべてが束になってもサムスン電子1つにかなわない。日本は終わった」というようなネタを誰かがいい、みんなが注目して賛同するという不毛な負の馴れ合いの連鎖になっていた。  韓国企業を持ち上げて日本企業を下...

北陸新幹線を「米原ルート」で全線開通できなかったのは関西人の東日本コンプレックスのせい

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   いよいよ東京から敦賀までつながった北陸新幹線。しかし、ここにきてX(旧Twitter)のトレンド欄に「米原ルート」というワードが浮上している。これまで同路新幹線は1998年の長野開業、2015年の金沢開業と延長工事を続けてきたが、今後は敦賀止まりという中途半端な状態が少なくとも数十年以上続くことになる。中には これ以上伸びることは永久にない という辛辣な指摘もある。  なぜか。それはもともと米原経由で作る話が有力だったのに、第二次安倍政権化で敦賀から先は「小浜・京都ルート」で新大阪まで作るという最終案がごり押しされてしまったからだ。これは敦賀から南下するのではなく若狭湾にそって小浜まで西進し、その先は京都府内の山岳地帯のど真ん中をトンネルで南下し、さらに京都市の中心街を地下トンネルでもぐったまま新大阪に至るというものだ。  常識的に考えればこんなことはありえない。そもそも新幹線は既存の在来線(東海道新幹線なら東海道線)に沿って作られている。在来線だと遠回りすぎる区間には短絡ルートでつくったり、逆に険しい山脈がある場所は迂回するために線形が悪くすることはあるが、それらは高速化のために仕方ないことだ。しかし小浜・京都ルートはそのすべてが北陸本線から完全にずれたコースをとっており、わざわざ小浜まで遠回りをし、さらにひたすら山を突き進んでトンネルを貫くというのであるから意味が分からない。トンネル建設の費用や工期がすさまじくかかるだろうし、そもそも技術的に造ること自体難しいかもしれない。  さらに京都の地下トンネルも無理がある。そもそも既存の新幹線の地下走行区間は上野駅ただ1つしかないが、これもちろん費用が高くつくためである。京都の街のすべてを地下で通すとなると相当のお金が必要になることは明らかだし、おまけに古都であるため遺跡がいくらでも出土し、その都度工事が止まったり、最悪コース変更を余儀なくされるので、どのみちすさまじくカネがかかって時間がかかることは明白だ。 北陸新幹線は米原ルート推しです。 pic.twitter.com/n6NcPoDzsN — Starry sky🍫 (@Starry2021) March 16, 2024  一方、従来有力だった米原ルートは、敦賀の先も北陸本線沿いをそのまま並行し、米原駅で東海道新幹線と接続するというシンプルなも...

北陸新幹線不要論は地方軽視だ

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   いよいよ本日、福井県までの延伸開業を果たした北陸新幹線。東京から「北陸の最果て」の福井県敦賀市まで新幹線で行き来できるようになり歓迎ムードに包まれている一方、今もなお北陸新幹線不要論が存在しているのも事実だ。  しかしこうした不要論は一顧だにする価値もない当事者無視の言説である。自分がもし北陸在住・出身者の立場だったらと考えれば、暴論であることに気づけるものだ。なぜ間違っているか。一つ一つ検証してみよう。 「旅情がなくなる」ことは問題ではない  よく聞く批判が、新幹線ができれば旅情が失われるというものだ。これは鉄道マニアや、地方を日常離れした旅先としてしかみなさない人たちの間の発想だ。これまで北陸は日本有数の「特急銀座」と呼ばれる地帯で、2015年の新幹線金沢開業以前であれば、関東・新潟・中京・関西の各方面と北陸を行き来する膨大な特急列車が走り回っていた。  ローカル線の昔ながらの駅舎に滑り込む特急列車の光景に風情があるのもまあわかる。そして新幹線なら窓から景色を追っかけるのも早すぎてついていけないが、在来線なら車窓を楽しむ余裕もあって、日本海の荒涼とした海や山河、古びた家並みを見て駅弁でもつつきながら北陸は素晴らしいと思う旅行者が大勢いたわけである。  しかしそれは地元目線が一切欠如している。地元の人にとっての鉄道はあくまで非日常体験ではなく、現実の日常的な移動手段である。鉄道という交通手段そのものが明治以来「大量高速輸送手段」という特性を持ち発展し続けてきたことを考えても、早くなければ意味がないのだ。新幹線のない時代金沢と東京は早くとも4時間程度かかっていたが、いまでは2時間半を割っている。特急はあまりに遅く使い勝手が悪かった。  また鉄道マニアは、普通列車を含め「国鉄時代の車両の宝庫」だった北陸本線のかつての光景を名残惜しんでいるようだが、裏を返せばそれだけ北陸は鉄道発展に軽視され続けたという土地でもある。これも首都圏に住むわれわれの自分事として考えてほしい。あなたが普段乗る最寄りの通勤電車がオンボロだったらどうだろうか。湘南の私とて東海道線が首都圏の有力路線であるにもかかわらず21世紀になっても国鉄式の車両が走っていたことにあまりに車両更新が遅すぎると思っていたものだ。鉄道車両に思い入れのない大多数派ならなおさらそう思うはずだ。  ちなみに東海...

新潟県は西日本

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  (Wikipedia)  新潟県で唯一の重伝建である佐渡島の宿根木地区。江戸時代に畿内から蝦夷地をむすぶ北前船の寄港地として栄えた港町の面影を残す町並みで有名な場所だ。日本の物流は現代こそ陸路が中心だが、道路環境が乏しく鉄道が存在しない江戸時代には、いっぺんに大量の物を運べる水運がロジスティクスの基本だった。島国日本はそこら中が海に面していて、大きな川を伝っていけばどこにでも物を運べたからだ。  そのため佐渡には畿内の文化的影響が目立つ。まず方言の佐渡弁が京言葉の影響が大きい西日本方言だし、京都の清水寺を模した清水寺(清水寺)のような社寺もある。もちろん流罪によって「島流し」にあった貴族たちもいて、離島ながら雅な雰囲気を醸している。  そして北前船は新潟各地に寄港していたわけだから、佐渡が特に顕著に表れているだけで新潟県自体が西向きになる。何しろ地域区分の上越・中越・下越という言葉自体が京目線だ。県外の私たちからみれば「てっぺんの県北部がなぜ下越?」と疑問に思うが、これには京都から見て最も近い西側が上越で、最果ての北側が下越だという事情がある。  かつて京都の祇園に並ぶ花街だったという 新潟市の古町では芸子さんの間で京染めが好まれるという。 また食文化でも 新潟の桜餅は関西式の道明寺タイプ で関東でおなじみのクレープ式の長命寺ではない。東日本では全般的に正月のお雑煮の餅は焼くのが普通だが、 新潟県では煮るのが当たり前 だ。  筆者は神奈川県民だが、両親は東北の出である。関東と東北は、温暖な太平洋型と積雪寒冷地という気候の違い、都会と田舎の違いはあれ、文化圏の連続性があり、社会の一体性を感じる。まぎれもなく同じ東日本なのだ。だが「新潟は東日本」と当たり前のように言われると得体のしれない違和感がある。親戚の集まりに赤の他人が紛れ込んで馴れ馴れしく接してこられるような感覚だ。西日本が嫌いなわけではなく、まったく違うものを無理くり同じにしようとする「同化主義」のぎこちなさへのアレルギー反応があるのだ。  ところが現実には、新潟県民・出身者は若い世代であればあるほど標準語=関東弁を母語として話しているし、ハッキリ言えば東京コンプレックスが強く、当然のように自分たちは「東の側」の人間だと思い込んでいる。そのくせ地元の郷土性には関心が薄く、やましいことを隠すかのような...

地方都市がもっとも繁栄していたのは1990年代後半

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   (Wikipedia)  地方の衰退が聞かれて久しい。いまや田舎の県庁所在地はもちろん浜松市や北九州市など政令指定都市でさえ中心街が空洞化し人っ子一人も見かけない光景は当たり前になっているが、地方都市がもっとも繁栄していたのは1990年代後半ではないかと私は考える。  東京目線からすれば、この時期はバブル崩壊後で最も不景気が顕著で、都市博は中止となり、21世紀から今にかけての森ビル的な大規模再開発もほとんどなかった暗黒時代だ。しかし、私は地方都市はこの時期こそもっとも栄えていたと考える。 人口8万でもそごうが建った  まず90年代にはデパートが当たり前にあった。人口20万を超える県庁所在地クラスの地方都市なら、中心市街地に複数の百貨店が軒を連ね競合していた。そして人口10万台、あるいは数万人規模でも、地場の昔ながらのデパートが1つくらいは存在していた。  それは昭和の惰性で生き残っているわけではない。平成以降もデパートが新しく進出する動きがあり、1992年には当時人口わずか8万人の千葉県茂原市にそごうが建った。千葉とはいえ都心通勤圏からは外れた事実上の東関東の地方都市だ。また中国地方の山間地で今や人口10万を割れる片田舎の津山市にも1990年に高島屋が開業している。  当時は平成とはいえまだ都会でもショッピングモールがほとんどない時代。「駅前市街地のデパート」が街のステータスだった中、 首都圏郊外の20万のベッドタウン都市より、地方の8万都市の方がよほど百貨店に満ちていた ことすら当たり前だったわけである。ちなみに東北地方なら人口数万の片田舎にもファッションビルのビブレが各地にあった。  もちろんシャッターアーケードというものもなかった。地元のお店屋の集まりとはいえ、賑やかな商店街は地方都市でも当たり前にあった。高度成長期の街のスケールがそのまま持続されていたわけである。 ロードサイド文化がちょうどよかった時代  それでいて、バイパス道路の整備が進み、ロードサイド店舗が全国の田舎に広がっていたのもこの時期である。ニトリやツルハドラックやしまむらのような今となっては東京でもおなじみのお店も当時はまだ田舎にしか見かけないものだった。と同時に、田舎でも人口20万くらいの県庁所在地クラスの都市なら、ケーズデンキのような大型店はあらかた揃っていたし、マクドナルド...

「見えなきゃOK」の保守的日本人

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   岸田文雄首相の著書『岸田ビジョン』にこんな内容があったと思う。民主党政権で大逆風下、岸田氏が地元の広島で辻立ちをしていたら通行人に絡まれた。話をよく聞けば、今の自民党はけしからんが岸田氏のことは評価をしているというような趣旨だったそうだ。  こうした「個人的な支持者」を着実に増やし続けることで、岸田氏は地盤を固め首相に上り詰めたわけである。そしてこれこそが選挙互助会と呼ばれる自民党の本質だ。最近も、一連のスキャンダルを報じるテレビで、どこかの田舎で商売をやっている自民党支持層のオーナーが現状の政治を批判しながらそれでも支持を辞めないとインタビューに答えていて、左翼のSNSで批判的に拡散されていた。しかし左が勝てない理由はここにある。  いま野党共闘を訴える者たちにとっては夢のようなひとときだった民主党政権。だが2009年の圧勝からわずか3年で野に下ったのは、その政権の醜聞が報じられるたびに民主党支持層たちが失望し、離反し続けたことも要因としてある。つまりどこかの議員個人が問題を起こせば、それを「民主党全体の問題」としてとらえ、自分の地元の民主党議員に対しても疑いの目を向け、次の選挙での投票を辞めてしまう。大物議員が落選したり、小沢派が派閥まるごと出て行ったりするうちに、自民党に権力を奪還されたわけである。  もっともこれは有権者の政治に対する構え方としては、自民党支持層よりもまともな態度ではある。主権在民であるのだから、民意を裏切る政治家は厳しくジャッジを下すべきだ。しかし自民党支持層はそうはいかない。彼らは基本的に田舎に住んでいて、農家や町工場、商店街の古い地元の店の主など、地域に根を下ろした仕事をしている。そういう場所で自民党の政治家は地縁社会のしがらみに食い込むわけである。農協会館や商工会館に赴いて特定の職業の組合・業界団体の人だけのクローズな集会で報告会をやったり、自治会主催の運動会であいさつに行ったり、ドブ板をやるのだ。  自民党を支持する保守的な日本人にとっては、政治家は自分の生きている実社会の可視範囲で繰り広げられるしがらみの中にいる御用聞きみたいな存在と認識される。なので、地元選出の議員が真面目に走り回って汗を流している姿を見れば、絶対的な信頼を寄せるわけである。党より人である。彼らだって自民党員であるのに、テレビや新聞報道でしか見かけ...

西日本人は鉄道に乗らない

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  (Wikipedia)  西日本で最も大都市である大阪。しかし大阪駅の1日の利用者数は69万人だという。これは意外と少ない。東京の主要ターミナルは愚か横浜駅(190万人)より少なく、ターミナルではない高田馬場駅(74万人)以下である。中枢の大阪駅ですらその規模なら、関西圏全体の鉄道利用者の少なさは明らかである。  この人口差は車両からも見て取れる。国鉄時代には「西の山手線」の大阪環状線は当時の山手線と同じ4扉通勤型電車が走っていた。老朽化により2019年までにすべてが新車に置き換えられたのだが、新しい大阪環状線の車両は3扉に減らされている。関東では通勤路線に3扉はあり得ないが、大阪ではこれで成り立つのである。  また、東海道線も関東ではもとは3扉でボックス席とドア付近に4人掛けのクロスシートをつけた車両だったものを、新型ではロングシート中心の4扉車両に切り替え通勤電車と違いがほぼなくなっている。関西地区の東海道線も国鉄時代は全く同じ車両だったが、新車では3扉設計のままドア付近までクロスシートで埋め尽くすつくりになった。設計思想が真逆なのである。  関東では新しい車両ほどとにかく積み込めるようにつくっているが、関西ではそれほど過密のラッシュがないため座ることを前提に居住性を重視しているということだ。  これには人口の差ももちろんある。東京周辺はもともと人口が多く、一極集中で偏りが増え続けていることに対し、大阪は戦後昭和以降は長期低迷で人口は300万都市から200万都市へとむしろ減り続けている。関西圏全体にしたって関東ほどの伸びではない。しかしそれ以上に、 電車を中心とした移動スタイルが西にはそれほどない という事実もある。 「クルマ社会と電車社会の境目はどこにあるんだろう?」と思い、簡単に可視化してみた。 2010年国勢調査のデータより、【15歳以上の男性が通勤で使う交通手段1位】で塗り分け。 複数回答なので、例えば「駅まで車・駅から電車」の人は自家用車と電車の両方にカウントされるのでご注意を。 pic.twitter.com/gsFpMucH0J — にゃんこそば🌤データ可視化 (@ShinagawaJP) December 21, 2019  前にTwitter(旧X)で話題になった関東と関西の通勤手段の違いがわかりやすい。首都圏は広範囲が真っ赤な...

函館は市電を五稜郭駅まで延ばすべき

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   (Wikipedia)  函館に行ってきた。およそ22年ぶりの再訪である。  北海道新幹線で新函館北斗駅まで行き、そこから「はこだてライナー」で函館駅へ。前回訪問時はブルートレインと飛行機だったので、新幹線に4時間乗って東京から北海道まで来れてしまう現実には改めて驚いてしまった。  しかしもう1つ驚いたことが「函館がくたびれている」ということだ。街中がとにかくスカスカに見えたのだ。  函館駅ロータリー付近こそ駅舎の建て替えを契機にした再開発があったのか、土産物屋街の「ハコビバ」があったり、新しめのビジネスホテル群が広がっている。だが、22年前にたまたま立ち寄ってくじ引きを引いた思い出がある棒二森屋デパートは閉店したままの空き屋状態だったし、少し通りを歩くと目に見えて空きビルが目立つ。徒歩10分もかからない松風町という場所のビジホを取ったのだが、駅周辺の飲み屋街を抜けると歩道脇にパチンコのマルハンがあり、マクドナルドのドライブスルーにツルハドラック、しまむらと駐車場完備のロードサイド店舗が目立つ。道の反対側も、空き地を活用する駐車場がやたらと目立つ。完全なる郊外風景である。  しかし、いまGoogleストリートビューを確認すると、10年前くらいまではこのあたりまでお店屋がひしめき合っていて、歩道も商店街仕様のアーケード屋根が函館駅からずっと続いていたようだった。前回も大雪の日だったが、確かに雁木の下を歩いた記憶が確かにある。今回はそれが取っ払われていたので、ビチョビチョの足元を気にしながら吹雪を浴びて松風町のホテルを行き来し、こんなに駅前市街地が狭かっただろうかと感じたのだ。  当時私はまだ小学生だったから函館駅前を大きい街に見えたのだろうとも思ったのだが、実際に街が小さくなっていたのである。ちなみに市の人口も当時30万人だったものが今は24万を割り込んでいるそうだ。 市電五稜郭延伸で活性化せよ  とはいえ無理もないといえる。函館や北海道に限ることなく、地方都市はどこもクルマ社会化だ。街はずれの幹線道路沿いに大型店舗が増え、市内のみならず近隣自治体を含めた地域全体がそっちにばかり集中し、市街地は空洞化する。街だった場所がロードサイドに飲み込まれるのも地方ならどこにでもある現象だ。  特に函館の場合、半島の先っちょに函館駅がある。かつての連絡船との接続のた...