投稿

4月, 2024の投稿を表示しています

れいわ新選組はなぜパッとしなくなったのか

イメージ
    (Wiki)  2019年、山本太郎参議がたったひとりで立ち上げた新党「れいわ新選組」。この年の参院選は れいわ旋風と呼ばれる社会現象 を巻き起こし、低迷している野党の間で大きな存在感を示したことをみなさんもご記憶かもしれない。  5年後のいま、れいわ新選組の存在感はパッとしない。党勢もほとんど拡大している印象はない。なぜれいわ新選組は埋没してしまったのか私はその最大理由として「既成政治の論理に取り込まれてしまったこと」があると考える。  そもそも党首の山本太郎自身、既存の政治家ではなかった。映画やドラマで引っ張りだこの人気俳優から原発事故を理由に活動家に転身し、政界入りしたという異色の経緯の持ち主である。脱原発運動は民主党政権下で高まり、当時の活動家らは民主党政権相手にこぶしをあげていた。原発を推進してきたのは自民党系の保守政財界だが組合票欲しさの野党政治家も共犯者であった。  れいわ以前から山本太郎に集まる支持は、タレント出身で大衆万人に訴求力がありかつ「左も含めた既成政治」にあらがうリーダーとしての期待感によるものだったというわけだ。 社会問題全部載せの候補を集めた初選挙  結党当時、れいわ新選組が擁立した候補者は山本代表以外すべてが新人だった。それも今まで政治にチャレンジした経験もなく、芸能人でもない人だった。だがその共通点は現代の社会問題の当事者やプロフェッショナルであることだった。  ある候補者は「派遣切りでホームレスになったシングルマザー」であったし、ある候補者は「辺野古反対を理由に公明党を批判する沖縄の現役創価学会員」だった。大手金融出身のコンビニオーナー、女性装の経済学者、拉致被害者家族の元原発職員・・・1つのみならず複数の社会的特徴を持つ人物ばかりを取りそろえ、みごと当選した2人の参議は「車椅子で寝たきりの経営者」だった。  これらは既存政治が解決できずにいる課題にさらされ続けた当事者でもあるし、人によってはその解決策を提案できる専門家でもあった。このような社会問題を知り尽くした人物を全面に出し、ゲリラライブのような市民対話型の街頭演説とネットの口コミで、れいわ旋風は広まったわけである。  そして当時の時点ですでにネトウヨから誹謗中傷はたくさんあったが、左翼の党ではなかった。拉致家族や金融のプロのような保守が強そうなテーマに長けた...

和製リベラルを蝕む党派主義

イメージ
   自身の「職業差別」発言騒動で辞意に追い込まれた静岡県の川勝平太知事。しかしこともあろうに 一部リベラルに川勝知事を庇う風潮がある ことがSNSを見ていると気づく。当たり前だが差別は良くないと、弱者の側に常に立ったのがリベラルだ。しかし彼らの思考の中では「国策のリニアモーターカー建設に逆らったために小さなことをつつかれて失脚した川勝知事」という図式があるようだ。川勝知事は立憲民主党系の知事だ。  リニア建設を巡っては故・安倍晋三元首相と関係の親しいJR東海の故・葛西敬之名誉会長が積極的に推進していたが、途中駅のない静岡には利益はないので川勝知事はそれと真っ向対立していた。左派の間では「葛西帝国」と呼ばれるJR東海に昔から強い不信感がある。ようは組合憎しで国鉄を潰し、儲かり路線の東海道新幹線を自社の管轄としてぶんどってボロ稼ぎをし、国策に乗じてもっと儲けようとする悪しき右翼経営者という認識だ。川勝知事は右翼政治家と右翼経営者の結託する図式に対立するヒーローというわけだ。  だが実際にはそういう単純な構図でもない。というのも川勝知事の過去の発言や主張をみれば、むしろその辺のただの自民党の保守政治家(右翼思想に執着しない利権議員)よりもよほど右に寄っている人物だ。 原発とリニアに反対してるからと、今回の件で川勝に甘いリベサヨが目立つが、完全に間違っている。学者としての選民意識が強くなった竹中平蔵みたいなもんだ。 — 東間 嶺 RAY THOMA (@Hainu_Vele) April 4, 2024  ちなみに川勝知事が勝手に「後継指名」した県内選出の立憲民主党・渡辺周代議士も、慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会の会長で、改憲派、外国人参政権には反対、朝鮮学校の補助金を否定するなど、安倍晋三的なイデオロギーの持ち主だ。  川勝知事は失言を繰り返しながらも圧勝し続けたし、渡辺代議士も選挙に強い。立民系知事が立民の国会議員に後釜を打診することは、党派のみとらえれば「対自民」で野党が政権交代のために勢いづく大チャンスと言えるので、一部リベラルはこのような風潮になるわけである。  これは完全な党派主義だ。 自民党政府を叩き政権交代することありきにとらわれ、自分たちの党派にとって不都合なことには目をつむる、左翼の悪い癖が出ている のである。  このリベラルの悪癖は仙...

東海道線の湘南軽視は国が動かねば永遠に続く

イメージ
  (Wiki)  首都圏から郊外に延びる主要JR路線の筆頭ともいえる東海道線。日本で最初の鉄道でもあり、東京~平塚間の東京駅1時間通勤圏は膨大な人口が住んでいる。昔から「湘南電車」と呼ばれたように湘南地域のベッドタウンと都心を結ぶ通勤路線としての性質が強い。  しかし肝心の湘南で地域移動には不便なのだ。大船、藤沢、辻堂、茅ケ崎、平塚の湘南5駅はいずれも駅間距離が4~5kmも離れている。徒歩で行き来できる距離ではないし、沿線市民は自宅から駅まで路線バスや自転車での移動を強いられているのである。  私がその異常性に気づいたのは関西に行ったときだ。高槻市に住む知人の家を訪れる際にも新幹線を降りてから東海道線を利用した。驚いたのは関西地区の東海道線が各駅停車と快速線の2路線分並行しいて、細かな停車駅の各駅停車は地域輸送を担い、快速線は京都駅や大阪駅などを目指す際に利用するという使い分けになっていたことだった。  実は関東の東海道線も、東京~横浜は京浜東北線、横浜~大船は横須賀線がぴったり並行し、東海道線が飛ばす地域にも駅がある。だが大船から先は「地域の駅」が不在な区間が続くのである。沿線は住宅密集地で人がいないわけではない。仕方なくバスに乗って駅に行かなきゃならなくなるが、通勤時間のバスは渋滞に引っ掛かることもあるし、朝晩は「開かずの踏切」問題もある。  しかしJRや、神奈川県、あるいは国は、こうした湘南の東海道線沿線の交通格差の是正に何ら大きな取り組みを行ってこない。もちろん 藤沢~大船間に村岡新駅を作る動きを藤沢・鎌倉両市が進めるという件 はあるが、 昭和の時代から 続いているのに開業は2032年予定とあまりに遅い。  人口規模や需要を考えればほんとうは最低でも1駅、可能なら2駅は中間駅があってもいい。しかし湘南はベッドタウンである以上、住民人口は多いが都心みたいな大会社がなく自治体に税収に乏しい。村岡新駅1つ作るのにさえここまで時間がかかったことを考えれば、予算も権限も弱い自治体に駅を作らせるには限界がある。茅ケ崎市や平塚市に駅を作れと言っても無理だろう。選挙でも泡沫候補くらいしかそんな話をしていない。  この国はおかしいと思わないだろうか。中央政府は赤字ローカル線の維持を重視したり、九州の田舎にフル規格新幹線を引っ張るようなことばかりをやっている。だが、地...

新宿は「多様性のまち」になれずに没落した

イメージ
絶対にゆっくり寛がせないという強い意志を感じる。問題はホームレスだけじゃないんだよね。自己責任だと冷笑しながら排除アートを容認していたら、30年後には広場がない、ベンチがない、ゴミ箱もない、経済活動のためにせわしく動き回ることしかできない街ができあがった。 https://t.co/Aj9Lp2KW2V — C.R.A.C. (@kdxn) March 31, 2024   新宿区の「排除ベンチ」をめぐりネット上で炎上が起きている。公園や道路上に区が設置したベンチがあまりにへんてこな座りづらいものばかりでひどいというものだ。それに対し、吉住健一区長が写真付きで反論をツイートすると、その写真に出てくるベンチがそもそも一目で見て椅子とわからないようなシロモノばかりで火に油を注ぐ自体になってしまった。  神奈川県民のわれわれにとって新宿は小田急線や湘南新宿ラインの大ターミナルで馴染みの場所だ。しかしたまに新宿に行くたびに、その街のつくりに疑問を感じるのも事実だった。新宿駅構内・周辺も、とにかくベンチが少ない。ゴミ箱もない。トイレもないのである。一休みするためだけにわざわざカフェに入って飲み物を買う必要があるが、その店内にさえ椅子がなかったりするのだ。これは今に始まったことではない。34歳の私が物心ついたころにはその兆しがあったので、平成の「失われた30年」でおかしくなった結果だと思う。あまりに異常さが際立って今炎上しているということだ。  とにかくこの街は区として「よそから人が集まり憩う」ということを歓迎しないのだということは、排除ベンチを肯定する行政の長の強いメッセージからも分かる。ベンチは豊かで多様性ある社会に欠かせないものだ。ホームレスにとっては生き死ににかかわる寝床であるし、そうではなくても超高齢化国家日本。大勢いて今後も増える高齢者にとっては貴重なひと休みの場だ。あるいはその逆に小さい子ども連れ、妊婦にとってもベンチは欠かせない。もし誰かがケガをしたり倒れた時は、ベンチに寝かせて応急処置をする役割もある。  そういうあらゆる人たちが生きていくために欠かせないインフラが、ベンチである。つまりベンチがたくあんあり、なるべく居心地よく設計された街であるほど多様性に対する配慮に富んでおり、外に開かれた街であり、何よりあらゆる人の命を大切にする街だということに...

なぜ四国にフル規格新幹線は一生作られないのか

イメージ
   (Wiki)  兵庫県と四国・徳島県を結ぶ大鳴門橋は、その下部に新幹線用の線路を通すスペースが用意されているという。実際には着工されることなく骨組みのみで、その下には名物の渦潮の光景が広がっている。  四国には「新幹線を作れ」と言う声があるという。しかしまるで着工に向けた動きが進まないのはみなさんもご存じの通り。それはなぜかという、単純な話 カネがかかる割に作る価値に乏しいから にほかならない。四国に限らず、昭和の田中角栄の時代に構想された「奥羽新幹線」とか「山陰新幹線」などが全く持って実現に向けた動きになっていないのも、作る価値がないからである。  その上で、四国が求める新幹線建設は「4県にまんべんなくフル規格路線を作れ」というものだ。徳島から愛媛を通って九州に抜ける四国新幹線と、瀬戸大橋経由で香川に上陸して高知に至る四国横断新幹線の2路線を作れと言うのだ。3か所も海越えの区間もあるから、建設費はバカ高くなるのは確実である。そりゃ、無理である。  新幹線は国土の軸を念頭に整備されるものである。例えば東北地方の場合、東北新幹線が青森まで伸びているが、その沿線にあたらない山形、秋田は途中分岐で在来線直通の「ミニ新幹線」で東京を結んでいる。山形や秋田の利益のためだけに奥羽新幹線をフルで整備するとお金がかかるからである。  そして東北新幹線は東北のためだけの路線ではなく、直通する北海道新幹線が札幌まで全線開業して初めて完成するものだ。これは西日本を結ぶ路線も同じ。関西と九州の間には山陽新幹線がすでにあるので、四国新幹線は必要ないのである。山陽新幹線自体も単体ありきではなく、直通する九州新幹線が鹿児島まで通っていて意味を成す国土全体の移動スケールでの幹線だ。  そりゃあれば便利なことは確かだから、フル規格新幹線を日本全体に張り巡らせた方が移動は便利になる。しかし建設費や維持費がすさまじくなることは明らかで、そんなことに予算を使うんなら経済対策や福祉に回す方が国家の益になる。大した人口のない田舎のためだけに四国に新幹線を作るということは、国民全体の利益に使うべく国の税金を特定地域の利益だけに分配することを意味し、公平性に反するので絶対に作られないし、作ってはいけないのである。  

札幌撤退と失われる「都市格」

イメージ
 スーパーも劇団四季も「東京と同じ」がなくなる札幌  (Wiki)  西友が 札幌市内に展開していた店舗をイオンに売却し北海道から撤退する という。これには多くの人が驚いている。北海道でスーパーといえば先だって ヨーカ堂の撤退 も話題になったばかりだ。もちろんヨーカ堂グループ全体が低迷ぎみだったというのもあるが、多くのメディアが伝えた「地方の不採算店を閉じて首都圏に尽力する」という見方に私は疑問を抱いた。 札幌は大都市ではなかったのか ということだ。  札幌は決して田舎ではないはずだ。人口200万人で市としては札幌に並ぶ日本で第四番都市だ。であるからこそ、大都市型の生活様式に沿った東京中心に展開していたスーパーが盛んだったともいえる。しかし今回の西友問題ではっきりしたのは、札幌はもう「大都市」の常識が通用しづらくなっているということだ。西友の跡を継ぐイオンと言えば「イオンモール」に所長される地方農耕社会のロードサイド文化の王者だ。道路沿いにデカイ駐車場を立てて客を呼び込むというアメリカ式のモータリゼーションに根差した企業である。  駅前市街中心型のヨーカ堂は今の札幌の生活様式ではその強みを生かせないということではないか。私は大戸氏に札幌を訪問し、JR苗穂駅からヨーカ堂系の「アリオ札幌」まで地元の友人と歩いた。駅直結の渡り廊下は人通りがとてもまばらだった。筆者の地元の神奈川県にある海老名駅なら駅前型大型店と駅とを結ぶペデストリアンデッキは平日でもごったがしているから、比べるとあまりにもパッとしておらずそりゃ撤退するのも仕方ないような気はしたのだ。ちなみに札幌市は200万都市だが海老名市は14万都市にすぎない。  札幌では近年撤退ブームが起きている。アップルストアは2017年に閉店してしまったし、2025年には劇団四季の劇場の閉鎖も予定されている。アップルストアも四季劇場も東京を筆頭に、全国の主要都市のど真ん中にあるようないわば 都会文化の象徴 のようなものだ。それがなくなるということは札幌の都市格が落ちていることを意味しているといえそうだ。 ドーム球場が成り立たない問題の本質  これは札幌ドーム問題とも重なる。全国各地の大都市にドーム球場はあるが、札幌ではプロ野球とJリーグの両方の本拠地で共用する運営方式だった。ところがプロ野球の日本ハムが北広島に移...

「北陸新幹線なんていらない」はただのエゴ

イメージ
  (Wiki)  先日、福井県まで延伸開業した北陸新幹線。東京と北陸4県がすべてつながったことに、沿線自治体では大きな喜びが沸き起こったことは東京でも大きく報じられた。しかし、こうしたムードに水を差すかのような声がSNSの一部にはある。それが北陸新幹線不要論だ。デメリットがあまりに大きく、高い税金を使って建設するべきではなかったというものである。  しかしこうした北陸新幹線はいらないという発想は、そのすべてが偏った人たちのエゴでしかない。よく散見される誤った批判を1つ1つ検証したい。 鉄道マニアのエゴイズム  多いものは鉄道マニアからの批判だ。 北陸は特急で十分だった という声がある。鉄道マニアの間では在来線の特急は「花形」扱いで好まれる傾向があり、北陸本線は無数の特急が行き交う日本最後の特急銀座、特急街道だった。大好きなおもちゃを失った気分なわけである。  だが裏を返せば それだけ移動需要が旺盛なのに新幹線がなかった ということでもある。新幹線とはそもそも在来線の「幹線」のバイパスを意味する言葉だ。かつての東海道線も東北本線も特急だらけだったが、それらは昭和のうちに新幹線が開業したのでほぼ一掃されていた。東海道新幹線が1964年開業である。福井に新幹線ができたのはその60年もあとだったことになる。このような地方格差が放置されていたことの方が問題だったというのが実情だ。  また鉄道マニアが北陸は特急で十分と考えるのには特急「はくたか」の存在もあった。北陸と関東方面を結ぶ列車で、途中にほくほく線という第三セクター運営のバイパス路線を通り最高時速160kmという在来線最速のスピードを誇っていた列車である。山陰にも三セク新線を走る高速特急があるが、特急はくたかほど速くはない。 (Wiki)  しかしそうはいっても在来線である限り時間はかかった。東京~金沢間が特急はくたかで4時間だったところ、新幹線では2時間半である。福井までならとても遠かったので最初から選択肢にならず、東海道新幹線で米原から回り込む「しらさぎ」ルートが一般的だったのだ。  日本中の特急を知り尽くした鉄道マニアからすれば、他地方と比べて相当恵まれている特急はくたかなので十分というところなのだろうが、地元民からすればそれでも遅いのは事実だった。どう考えても特急しかなかった時代の移動は不便だったはずだ...