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4月, 2024の投稿を表示しています

なぜ山形には何もないのか

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  (Wikipedia)  「何もない田舎」というと東北地方をイメージする人が多い。昭和の時代なら、ドラマやコントに出てくる女中が東北弁を話していたり「俺ら東京さ行くだ」という曲がヒットソングになったり露骨にバカにされたものであった。そういうことが東北地方出身の両親は子どもの頃コンプレックスだったという。  理由は様々あるが、関東に隣接する地方でありながらあまり産業化されておらず過疎地が目立つこと、積雪寒冷地で寒村的なイメージがあること、邪馬台国や朝廷があった西日本と比べても歴史が短く 中央から征服され続け「白河以北一山百文」と蔑視されてきたこと などが複合して現状に至っているのだろう。  その東北地方で最も何もない県はどこかというと私は山形県だと即答できる。考えてほしい。6県のうち山形だけイメージが浮かばない。東北でユネスコ世界遺産といえば岩手なら平泉、秋田や青森にまたがる白神山地や縄文遺跡群があるが、山形には世界遺産がない。それどころか重伝建すら東北地方で唯一県内に1つもない。となりの秋田県なら角館武家屋敷群、福島なら茅葺屋根の宿場町がそのまま残る大内宿が有名だが、山形で突出した観光地はない。  ネット上では「東の山形、西の佐賀」という言葉さえ見かける。日本で最も旅行する価値がなにもない県がどこかというという時に山形県か佐賀県が浮かぶということだ。しかし私から言わせれば、昔お笑い芸人が何もない「佐賀県」を馬鹿にした曲が大ヒットしたことがあっただけ佐賀の方がまだマシではないかとさえ思うのだ。  先述した歴史背景もあり、東北地方じたいが名所・名物がただでさえ弱い。しかしその中でも山形県の何もなさが目立つのは事実である。有力企業もないので出張需要も少なく、東北新幹線・自動車道沿線のように素通りされることすらもない。多くの人は山形の地を一度も訪れることなく死んでいくのである。  なぜそうなってしまうのか。私はそれは山形県の特殊な地域柄があるからだと考える。 「1つの山形」になれないワケ  今ある全国の県は明治の廃藩置県によって江戸時代の藩の継承として設置されたものである。東北の場合、宮城県ならもちろん伊達藩、青森なら津軽藩、福島といえば東北戦争の悲劇のあった会津藩という風に、県の広範囲に大きな影響を与えた前身となる藩が存在する。しかし山形にはそれが浮かばない。...

3補選で立民完勝 自民にとって「島根1区落選」が一番ヤバい

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 先日投開票が行われた衆議院の3補欠選挙はすべて立憲民主党の候補が制した。しかもすべてが開票が行われた直後に当選確実が報じられる「ゼロ打ち」であったから、立民の圧勝だったということだ。  東京15区、長崎3区では自民党は候補者を立てられなかった。前職が公選法違反事件、裏金事件で辞職しての選挙という圧倒的不利な状況下での不戦勝である。中でも特に重要なのは与野党が一騎打ちの構図になった島根1区での落選劇だ。これは いまの自民党が大ピンチの状況にあることを象徴づける選挙 といえる。 政権転落時も揺るがなかった自民党王国が陥落した  島根県は古くはリクルート事件で有名な竹下登元首相を輩出した地で、民主党政権のあった2009年の衆院選挙のときでさえ自民党が県内2選挙区で勝ち抜いた 日本最強の自民党王国 の1つだ。  しかも今回の選挙は細田博之前衆院議長の死去にともなう「弔い選挙」だった。通常、前任者が亡くなって行われる選挙では後継候補は同情票が集まって有利な選挙戦になりやすい。この現象は自民党系に限らず、3年前に立憲民主党の羽田雄一郎元国土交通大臣(参院長野)が新型コロナウイルス感染で死去した際の補選で弟の次郎氏が当選を果たした例もある。  そして投票率はワーストだったという。こういう時、無党派層は投票所に足を運ばないと組織票を固める自民党がより勝ちやすくなる。かつて 森喜朗元首相が無党派層は「寝てくれればいい」と発言してひんしゅくを買った が、自民党はもともとそういう政党だったのだ。それなのに、ふたを開ければ立憲民主党の圧勝である。  ようは自民党王国で党支持層が離反を起こしているということだ。このままもし6月に岸田首相が解散総選挙を行えば、全国のほかの王国でも同様の事態が起きかねないということを示唆している。 亀井氏はなぜ勝ったのか  当選した亀井亜紀子氏は前回の選挙では比例復活も果たせなかったという。しかし落選後の浪人中に地元活動を重視。 去年1年間に60回のミニ集会を実施して住民との対話を繰り返した という。当選後も 離島フェリー航路の値下げ への取り組みを意気込むなど、地域重視の姿勢がはっきりとうかがえる。  これがすべてということではないか。ネトウヨや左翼は、自民党を保守思想の党だと思い込み、その支持者は保守的イデオロギーがあると考えたがるが、実際は違うのである。...

リベラル・左翼は「日本が滅びる病」を克服せよ!

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  (Wikipedia)  2011年の福島第一原発事故以降、日本では左派勢力の再活発化が起きている。SNSの呼びかけによって集まった市民により国会前で繰り返された「安倍政権打倒デモ」の賑わいはその最たるものだった。  しかしながら、左が野党共闘をいくら訴えても、国政において革新政党が保守に拮抗することは一度もなかった。岸田政権になって自民党一強構造が瓦解しつつある今でさえ、左翼党の躍進は起きていない。つまり 左が多数派国民に支持されていない事実 があるのだ。  筆者もリベラルの一人として憂慮している。なぜそうなっているのか。思い当たる節は様々あるが、やはり左の傾向として日本国崩壊の不安を煽る言説に飛びつき、騒ぎたがることが国民のヒンシュクを買っているのではないかと思う。それはまるでオオカミ少年のようだ。 原発事故もコロナ渦も円安も「日本は滅びない」  どういうことか。さかのぼること2011年の原発事故当時に高揚した脱原発運動を思い出してほしい。その時、左派がしきりに叫んでいたのが「福島がチェルノブイリになる」というような放射能汚染を過度に煽りたてる言説だった。中には「東日本にはもう人が住めなくなる」と本気で信じ込み、原発周辺在住者でもないのに沖縄まで自主避難する人もいた。  実際はどうだったか。確かに事故直後は放射能の問題はあったにせよ、 2024年現在、原発周辺自治体でも「帰還困難区域」の解除は進む。 もちろんすべてが完全に事故前に戻ったわけではないが、福島県から人が住めなくなるとか、まして放射能で日本が滅びるかのような、当初煽られた過剰な不安を裏切る現実があるのだ。  このような現実を逸脱した不安を煽って耳目を引きたがる論法は、2020年の新型コロナウイルスの蔓延時にもみられた。ダイヤモンド・プリンセス号事件が起きた時、左は欧米社会は日本の感染状況を憂慮しているとか、このまま日本国内にのみ感染が広がって国が滅びるかのような言説を繰り広げていた。  当時筆者は当時カナダ在住だったので、日本社会の空気感までは理解できなかったが、その代わり欧米社会のリアルと日本のずれを皮膚感覚で知ることができた。実際には、その後の感染拡大は欧米の方が顕著に進み、ロックダウンを繰り返したり、ニューヨークなんか医療崩壊が起きて都市機能不全のような状況に陥ってしまった。  その...

なぜ「豊橋は未開の地」発言が大炎上してしまったのか

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  (Wiki)  愛知県豊橋市が話題だ。X(旧Twitter)上で、この豊橋について「未開拓の地」と呼び酷評したポストが炎上状態になっている。投稿者はメガバンク出身といい、地方勤務を敬遠する若者に向け東京から豊橋に左遷された自身の経験をユーモラスに語っている。  当該の投稿そのものの引用はここでは割愛するが、内容は以下に辺鄙な場所で不便化という批判や現地の人々に対するいわゆる「マイルドヤンキー」批判である。Xでは10年以上前からずっとこの手の地方叩きは盛り上がる傾向があるのでインプレッション稼ぎによく用いられてきたが、今回の件は特に炎症が激しいように見える。いつものようなネットの片隅が生き場所の匿名ユーザだけの盛り上がりではなく、地元ゆかりのスポーツ選手が自撮りをあげながら反応するなど「顔の見えるアカウント」にもリーチしているほどだ。  ここで言及する地名は、地方都市ならどこでもよかったのかもしれない。地名を伏せても良かっただろうし、日本本土の最果て感のある青森でも鹿児島でもよかっただろう。しかしなぜ豊橋だと炎上してしまうのか。それは地方都市の中でも豊橋が ビミョーな場所 であるからに他ならないのだ。 「中部で11番都市」未開扱いに地方人は動揺 (Wiki)  豊橋市は愛知県の南東部に位置している。名古屋までは70km離れており、新幹線「ひかり」で最速19分、鈍行なら1時間超離れているため、名古屋市のベッドタウンとはなっていない。山を越えた先に岡崎があり、その先も田んぼ地帯の合間に町がポツポツあるような環境が広がっている、 典型的な非大都市の地方環境の中にある地方都市 だ。  しかしそうはいっても地方の中ではけっして都市規模が小さなものではないのも事実である。市の人口は約36万人で、これは 広い中部地方の中では11番目に多い。 他地方で考えても、東北地方の第二の都市・福島県郡山市が32万と考えると決して小さな規模ではない。  また名古屋のベッドタウンとなれなかった代わり、豊橋を中心に周辺自治体が集まる独立した都市圏を築いている。それによると豊橋の都市雇用圏人口は全国29位で、北関東の水戸や九州第二の鹿児島を上回るという。地方都市としては規模がある部類なのである。 最新の2020年データにもとづく都市雇用圏の人口TOP30 TLで話題の豊橋都市圏は全国29...

野党共闘は「自民党潰し」ではなく公平さでまとまれ

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  (Wiki)  自民党がボロボロだ。岸田文雄政権の支持率は下がりっぱなしであるし、自民寄りの 産経新聞の世論調査でも52%以上が政権交代に期待 と答えたという。自民党は普通ならとっくに下野している状態だ。  しかし実際には野党の支持率が上がらない。最大野党の立憲民主党でも6%程度であるし、それ以外の党はもっとひどい。そもそも立憲民主党は、第二次安倍政権で革新野党が壊滅的状態になった際にSNS上のリベラル層による「枝野立て」との声のもとに枝野幸男前代表(画像上)が結党した政党だった。しかし今、泉健太体制下の立憲民主党からは枝野時代のような鋭い自公政権批判、共産党を巻き込んだ共闘の訴えが叫ばれることはなくなっている。  立憲民主党を支持する人たちには二種類いるように見える。ひとつは「民主党復活論者」である。かつて民主党を支持していた党員やサポーターを含めた人たちで、主に民主党左派の集まりである立憲民主党(立民党)と、民主党右派の国民民主党(民民党)の再統合による大民主党復活をもくろんでいる。党としては立民党の方が大きいが基盤がなく、かつて民主党の支持母体だった労組のナショナルセンターの連合は民民党寄りなので、それらをひとまとめにすればちょうどいいと考えるのである。  たいして、もうひとつとしては「国民連合政府論者」がいる。これは立民党結党前の2015年、第二次安倍政権による集団的自衛権容認をめぐり激しい反対デモが発生し、野党同士の連携・共闘が進んだ際に共産党が掲げたもので、共産党の選挙協力のもとで政権交代を目指すというものである。  ネックにあるのは共産党なのだ。旧民主党政権は、社民党と連立したものの共産党は中に入ることはなく、左から民主党政権を批判していた。こうした背景ともともとある冷戦時代の反共意識もあって、民主党復活論者の間では共産党だけは中に入れるなというアレルギー意識がある。  一方、国民連合政府論者などからすれば、民主党も「劣化自民党」でしなかなかったが、それよりも戦後の歴代政権(そのほとんどが自民党ではあるが)の踏襲し続けた常識や秩序をブチ壊し、やりたい放題で政治をゆがめた安倍時代の独裁を止めること、捻じ曲げられたものを糺すことの方が重要であるので「鼻をつまんで」第一野党の立民党を支持し、民共共闘を進めることを優先するという考えがある。自民党が...

森ビルは悪ではない

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  (Wiki)  以前、筆者はメキシコ人の友人に東京を案内した際に、オープン直後の麻布台ヒルズに連れて行ったことがある。真新しい高層ビルやヒルズの名にふさわしい丘陵状の空中庭園を興味津々に楽しみ、嬉しそうに自撮り写真を撮りまくっていた。  森ビルはバブル期のアークヒルズにはじまり、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズと港区で大規模再開発を続けてきた。これらの場所にはビジネスや観光で訪れる外国人も多く先進国の首都の「自尊心」のような空間が広がっている。  一方で、この手の大規模再開発は、既存の風景を更地にして無機質に変貌させてしまうために「まちこわし」だと否定する人もいる。東京の街に愛着がある人ほど、新自由主義批判の文脈で森ビル害悪論を訴えたがる。  私は基本的に見境のない再開発がまちをぶち壊すという主張には賛同しているし、神宮外苑の再開発は阻止すべきだと考える側だが、 そんな自分でも森ビル害悪論は間違い だと思う。以下にその理由がある。 都心の片隅の不便な丘陵地を一等地に変える森ビル  まず東京の街の作りを考えてほしい。都心と呼ばれるのは山手線の東側、東京駅があり銀座などがある千代田区・中央区のあたりである。一方で、山手線の西側は、世界一の乗降客を誇る新宿駅を筆頭に副都心が広がっていて、これらのターミナル駅があり平地に街が広がっている場所を軸に、東京の街は広がっている。  それに対し、港区で森ビルが再開発するような場所はJRの主要なターミナル駅を持たない。地下鉄を乗り継がないといけない場所である。そして「ヒルズ」の名の通り丘になっていて平地に乏しい土地だ。それらはかつての光景は東京のど真ん中でありながら昭和の古い民家が残るような開発から立ち遅れ続ける場所だった。  じじつ 麻布台ヒルズの場合、地権者の9割が再開発に参加し、反対論はほとんどなかった という。緊急車両も入れない木密地域で、火災や防災上のリスクがある場所だ。そこが再開発によりただ高いビルを建てるだけでなく広い道路や避難所にもなる広場も作られたので、住民としてはむしろ評価されているのである。  人やカネが集まり続ける東京で、そのままにまかせておけば今も大きな再開発が進む丸の内のような一等地やその近隣ばかりが集中するようになる。これでは東京の構造がアンバランスになってしまう。そうした中「経済合理性」では無視さ...

日本は「大きな国」ではない

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日欧の大きさ比較が話題になっていますが、そのほとんどが「西ヨーロッパ地域だけ」と比較して日本をあたかもヨーロッパと同じくらいの長さ・大きさと見せる画像。ヨーロッパ大陸全体と比較すると、実際には長いは長いですが、特別大きいというほとでもないことが分かります。 pic.twitter.com/1T3A47bZyB — ゆづき@西洋紋章学研究家 (@6meikan_herald) October 13, 2023   よくネトウヨの間で「日本は大きな国である」という自画自賛のネタが盛んに語られ、その引き合いにヨーロッパに当てはめた図が用いられる。しかしそれはあくまで西欧との比較であり、実際には誤りだということがツイートで指摘されている。  このような見間違いが起きるのは日本が島国だからだ。北海道から沖縄まで島々が続いていて、それらを直線で結ぶと非常に長く見える。しかし実際は間に海があるので、地続きの大陸国と比べると大したことはなくなってしまう。  また本州が細長いことも無視できない。太平洋側の仙台港から日本海に面する山形の酒田港までは直線距離で約120km程度しかない。ドイツ東部の首都ベルリンから旧西ドイツの首都だったボンまでが470kmだと考えるとものすごく幅が狭いのだ。ドイツの国土は日本よりもやや狭いが、大陸国でほとんどが地続きでタテヨコまんべんなく国土が広がるドイツと、島がいくつも点在する日本では、体感の広さは変わるのである。 ヨーロッパの中で大きな国でもない日本 日本を面積そのままで四角く成形してヨーロッパに重ねてみた pic.twitter.com/5k9OdtNyLQ — きつねいろ🍊 (@kinokuni_fox) December 5, 2022  日本の面積を真四角にした人がいたので引用するとわかりやすい。こうしてみるとフランスやスペインよりも小さいことが一目でわかる。フランスは551,500km2で378,000km2しかない日本に比べるとかなり大きい。ちなみにロシアとの戦争で「東欧の小国」のイメージのあるウクライナも国土面積は603,500km2で世界44位、日本は61位であるから、ヨーロッパ諸国と比べても、また世界全体で見ても大きな国ではない。  このように考えると「日本は大きな国である」という主張がいかに現実を無視した間違いであるか...

なぜ日本は「最古の国」ではないのか

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令和書籍の歴史教科書が合格 過去4回不合格、社長は竹田恒泰氏 https://t.co/HlfGjHnX6a 日本を「現存する世界最古の国家」とした記述を「皇室は現存する『世界最古の王家』とも言われます」とするなど、100カ所以上を修正して検定を通過しました。 — 毎日新聞 (@mainichi) April 19, 2024  こんなニュースがあった。日本国を「現存する世界最古の国家」と書いた教科書の記述が文部科学省の検定でハネられてしまったそうだ。ということは日本政府としてはこの認識を肯定していないということになる。  それでもSNS上には日本を「世界最古の国」と断言して「日本スゴイ」と自画自賛する風潮がある。TikToKなどを通じてネトウヨ以外のごく一般的な若い世代にも浸透しつつある。しかしそれらは全くの間違いであることを認識するべきである。日本世界最古の国論は、かつてネタ感覚で主張するうちに、教育現場や公的機関にまで広まってしまった「江戸しぐさ」みたいなものでしかない。 謎年表やギネス記録は正しいのか ネトウヨが大好きな世界史対照年表。 一番下の「日本」に、北海道は間違いなく入っていない。 pic.twitter.com/Ze44ATdCon — そうすけ (@no_war_sosuke) October 21, 2019  ネット上でこの主張があるたびに必ず貼られる画像がある。それがこちらの世界史対照年表だ。教科書会社によって年表はまちまちのはずだが、 なぜか全く同じ年表の画像がコピペして延々と使いまわされている。 ということは、特定の教科書にしか採用されていないということだ。  筆者はこの「謎年表」をネット上でしか見たことがない。自分自身、学生の頃に使った世界史年表では「日本」などというざっくりした記述ではなく、日本の項も鎌倉とか江戸とか時代区分で表記されていたものであった。時代によってその地の国の形が違うのは日本も他国と一緒である。  そして先ほどのX(旧Twitter)の引用元にもあるように、この年表は北海道(蝦夷地)のことを考慮していない。琉球王国の存在も無視しているので、このような雑な表記は適切ではないと言える。  百歩譲ってこの謎年表が広く一般的なものだったとしても、世界史の教科書が教えるのはあくまで世界各国の歴史的変遷である。日本のことは...

なぜ右は天皇を蔑ろにするのか

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>ニッポンのことニホン読みする政治家って日本の国会議員が疑わしくなるよ 突然すいません、やんごとなき方々も「 #ニホン や世界各地」「日々新たになる #ニホン と世界」「この度、 #ニホン のガールスカウト運動が」と皆さん「ニホン読み」なのですが、皇室もアウトでしょうか? https://t.co/EIpGRwz29s pic.twitter.com/ZfIUPetoAf — アームズ魂 (@fukuchin6666) April 22, 2024  ネトウヨの間では日本を「ニッポン」と読むのが正しいとする謎のローカルルールがある。しかし実際には、天皇陛下をはじめとする皇族も「ニホン」と読んでいる場面はいくらでもあり、以前から突っ込まれ続けている。ネトウヨは天皇陛下の「お言葉」もろくに聞いておらず、やんわりと皇族を蔑ろにしているわけでもある。  右翼といえば天皇を敬愛するのが思想の大前提だから、こんなことはありえないと思うだろう。しかしネトウヨというのはそういう雑な生き物である。もっといえば、本来の右翼と呼ばれる人たちだって果たして本当に「大御心」を理解しているかというと疑問がある。  皆さんもご存じのように、戦前の日本は国家主義体制をとっており、我々の祖父母やその上の代の人たちは「天皇のために死ね」と犠牲にされた。そうした暗い過去もあるので、今の皇族方は平和活動に尽力されている。そうした努力を無に化するのが右翼たちの過剰な天皇礼賛だ。  以前、私は動画サイトで、移動中の皇族の車列にチンピラのような恰好をした右翼たちが「天皇陛下万歳」とドスの効いた声で呼びかける映像を見たことがある。ハッキリ言って総会屋や褒め殺しの類にしか見えないものだ。しかし右翼とて国民なので、象徴たる皇族はにこやかに手を振り返すしかできないのである。疑問符しか浮かばない。そこに彼らがいう「敬天愛国」などあるのだろうかと。  戦前賛美や戦前回帰を主張する右翼たちが、戦前のノリで「天皇陛下万歳」と叫んでいるのは、戦後リベラルを体現する皇族に対して「不敬」であろう。しかし日本の右翼や保守派はそういうことを平然とやっていた。20年前の園遊会で、とある右派論客が子どもに国歌斉唱をさせることが自分の仕事だと言い、 それに応じた天皇陛下が「強制でないのが望ましい」と述べた こともあった。  戦後の平...

JRの主要特急は成田空港駅始発にすべき

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  (Wiki)  先日、私はヨーロッパに行く際に成田エクスプレスを利用したのだが、ガラガラで驚いた。私がいた車両の乗車率は通しても半分程度という感じである。コロナ渦期間中に千葉駅に停車するようになり、千葉駅でドッと降りる客が出てきたのには驚いた。横浜あたりから乗って千葉で降りるビジネス客の比率が高かったようだ。空港に行くために乗車しているのは私以外はみなインバウンドの外国人のみだった。  成田エクスプレスが不人気な理由は明白だ。都心アクセス路線としてはライバルの京成スカイライナーに太刀打ちできないからだ。スカイライナーは新線経由で速度も速く所要時間がずっと優位なほか、料金も安い。そのため多くの場合日本人はこちらを利用する。ちなみに、成田エクスプレスを選ぶ外国人がそこそこいるのは、ジャパンレールパスという全国のJRに乗り放題の格安切符があるためである。  それでも私が成田エクスプレスにこだわのは地元からの移動の便が良いからである。湘南に住んでいる私の場合、東海道線に少し乗って戸塚駅まで出て、対面乗り換えで反対ホームから成田エクスプレスに乗り込めばあとは終点までリクライニング席で座ったままである。これが京成スカイライナーの場合、上野まで1時間ばかし普通列車に乗り続け、いったん地上に出て京成の駅舎までスーツケースを転がして移動し、スカイライナーに乗り込む手間がある。大荷物を抱えた移動は面倒であるし、その後の飛行機での長時間フライトを考えるとここで疲れたくはないので、楽な成田エクスプレスがいいのである。  しかし、あまりに利用率が少ない成田エクスプレスがいつまであるかもわからない。スカイライナーは毎時3本だが、成田エクスプレスは2本しかない。おととしまで大宮行きや八王子行きもあったが新宿行きに短縮されてしまった。この縮小傾向では、戸塚で乗れる大船行きがいつまで残るかもわからない。  単なる都心アクセスでは京成に勝ち目がないことは目に見えている。そこでJRは空港特急の抜本見直しをするべきではないか。私は 主要な特急列車の成田空港始発化 をするべきだと強く考えている。 「成田から一本」でインバウンド特需を徹底取り込め  多くのJRの特急は都心始発で近郊の行楽地に向けて走っている。伊豆をめざす「踊り子」なら東京駅始発、「あずさ」は新宿始発という感じだ。だったらこれを成田...

なぜ日本人に同胞意識がないのか

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  (wiki)  日本人が他国民と異なるのは「同胞」という感覚を持たないことだ。太平洋戦争を例に考えるとわかりやすい。この戦争は日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けたことで開戦。アメリカ側は徹底反撃を行い、広島・長崎への原爆投下により街を吹き飛ばし、国全土が壊滅的な被害を被ることで日本は降伏し、敗戦国となった。  この真珠湾攻撃で、アメリカ人たちはみな自分自身の土地が傷つけられたかのように痛みや怒りを共有し、戦争に突き進んだ。「リメンバー・パールハーバー」が国民の合言葉になった。ハワイは本土西海岸からも4000kmも離れている南の島であるのにだ。筆者はハワイに何度も行くが、パールハーバー国立記念館は常に米本土からの観光客で賑わっている。そのほとんどは当時を知らない世代だが、同胞の犠牲を悼む意識は共有され続けているのである。戦後の日米の国民関係は良好だが、いざ現地に来るとアメリカ人の中にある抗日感情の片りんにふれてヒヤリとした気持ちになる。  それに対して、日本人の広島・長崎への意識はどうだろうか。筆者は学生時代の修学旅行が長崎だったのである程度の理解があるが、おそらく ほとんどの日本人は原爆投下の日がいつだったかも覚えていない はずだ。広島のイメージが強く、長崎の存在も忘れていることだろう。人類史上はじめて核兵器が都市に投下されたとてつもない出来事だというのに、意識の共有は広島・長崎両県民のみにとどまる。それ以外の国民の間でで原爆に対する深い理解や強い意志を持った人がいたとしたら「反米左翼」くらいではないか。  一方で、「右翼」に意識共有が限られた問題もある。竹島問題がそうだ。 韓国が実効支配する島根県の竹島 について、地元の島根県では啓発活動が積極的に行われているので、島根県民の間では島を返せと言う意識は広く共有されている。一方で、全国レベルで竹島にいちいち言及するのは、嫌韓のネトウヨや黒塗りバスに乗った右翼団体くらいである。  しかし韓国ではそうではない。筆者は韓国人の友人が多いのでよくわかるのだが、島の帰属する慶尚北道民だけの話ではない。ソウルに住んでいようが釜山にいようが済州島にいようが、全国民が島を守ろうという意識を徹底してる。「独島はわが領土」という歌謡曲もあり、K-POPの人気アイドルグループがリハーサルでこれを歌って日本で物議になったこ...

なぜ山形は観光地が何もない県と言われるのか

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  (Wiki)  山形は観光地が何もない県とよく言われるそうだ。県魅力度ワーストでこそないが、下位争いを繰り広げる栃木や埼玉はなんだかんだ東京から近い地の利を生かせている。栃木なら世界遺産の日光、埼玉なら秩父や長瀞と言った観光地が浮かぶが、山形県で旅行に値する場所はあまり見当たらない。もちろん本当に何1つ観光スポットがないわけではないが、遠路はるばる新幹線に乗ったりホテルや有給をとったりして行く価値があるかというと、そこまでは及ばない場所ばかりなのだ。  山形で有名な温泉地と言えば銀山温泉が浮かぶ。しかしただ温泉に入るだけなら東京からすぐ近くの箱根でいい。また 規模としても日本一の温泉がある別府 を有する大分県にはかなわない。また県を代表する山として月山があるが、富士山の高さには到底かなわない。東京人にとってちょっとした気軽な登山気分を味わいたいだけなら都内の高尾山で十分だろう。  山形を代表る景勝地をあえて挙げるなら蔵王であるが、蔵王エリアは宮城と県境をまたがって広がる場所であり、肝心のお釜(上の画像)がある場所は宮城側である。これが山形の現実だ。蔵王に限らず、「仙台からちょっと足を延ばして山寺へ」という風に、土産のオマケとしては行くに値するあるスポットはあっても、山形を目的地とするほどの場所は何も見当たらないのだ。 過疎ワースト県の鳥取でも砂丘が有名 (Wiki)  だが山形の最大の課題は、たんにこの県に魅力創出・発信の能力がなかったことである。どんな田舎にだって何も見どころがない場所はないのが、そこにある見どころは意識的に整備し、全国へPRを続けてきたパターンが多い。県として人口ワーストの過疎地・鳥取にある鳥取砂丘は代表格である。  鳥取砂丘が地元を代表する名所になったのは戦後からだ。それまでは不毛の地としてむしろ否定的にとらえられ、戦後の鳥取市長は 「木も生えないようなところは鳥取の恥部である」 とさえ断じていた。そしてその恥部を隠すかのように砂丘の周縁部は防砂林で緑地化されたり農地などに姿を変えていったのだ。しかし1955年に鳥取砂丘が国の天然記念物や国定公園に指定されると、その独自の景観を一度見に来ようと観光客が増加し、今に至っている。  鳥取にだって江戸時代からの名所や名物は幾らでもある。山なら伯耆大山、温泉なら三朝温泉なんかがそうだろう。だ...

なぜ松山は四国最大都市の座を高松に奪われ没落しているのか

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  (Wiki)  四国で最も人口が多い 愛媛県松山市が50万人を割り込んだ という。四国第二の香川県高松市が41万人で、ともに40万台として並ぶことになる。2005年には松山が51万、高松は38万人足らずの都市だった。衰退する街・松山と、伸びる街である高松の非対称性が人口変化から垣間見える。  それでもまだ数の上では松山優位ではある。しかし地理に詳しい人の間では「四国の最大都市は高松だ」という考えが一般的だ。事実、企業の四国支社や国の出先機関などはその多くが高松に設置されている。松山にはおもに旧郵政省がらみの機関のみ拠点を構える。  両都市の明暗を分けた最大のきっかけは1988年の瀬戸大橋開通だろう。それ以前なら、松山だろうが高松だろうが本土には船で渡る必要があったが、高松は実続きで最寄りの四国の都市になった。その後の明石海峡大橋開業で大阪方面の最短ルートは徳島回りになったが、それでも、鉄道橋があるのは瀬戸大橋のみ。岡山までなら快速電車で1時間程度で行ける。  そして高松の場合は橋ができただけでなく、それに合わせて戦略的に機能強化を図って来たことが奏功している面が大きいといえる。そして、そうしたものを一切持たずに没落しているのが松山のリアルではないか。 再開発で四国の中心を集約させた高松駅 (Wiki)  高松では、過去30年以上、JR高松駅周辺の再開発に尽力してきた。瀬戸内海に面した鉄道連絡船の接続拠点だったが、橋の開業で連絡船が廃止になったことをきっかけに周辺の大規模な整備を進めた。2004年オープンの四国で最も高いビルである「高松シンボルタワー」では大企業の四国支社がずらりと入居しているほか、2006年には合同庁舎も建設され出先機関が集約されている。  開発はいまも続き、先月は駅ビルが大幅に拡張されたほか、 大学キャンパスや大規模アリーナも作られる。 名実ともに高松の中心が、そして四国の中心が高松駅に徹底集中するように一貫した都市計画を実行しているわけである。  おそらくこれがなければ、高松はここまで立派な都市にはなれなかったといえる。先日私は北海道の函館に行ってきたが、鉄道連絡船のあったJR函館駅付近は旅行者向けのホテルが林立している以外は空洞化した様子が目立ち、駅ロータリー近くの百貨店も閉業後の建物がそのまま放置されていた。海に面したターミナル駅...

東京の衰退

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街路樹も貧弱で木陰は無い、ゴミ箱もあまりない。新聞スタンド、ジェラートカーもない。 — Choc-Cacao (@chocacao9) April 14, 2024  銀座の没落についてX(旧Twitter) で話題になっている。かつての銀座はニューヨークで言う五番街、パリのシャンゼリゼ通りに相当する日本でもっと高級な街で、晴れ着をまとってピリッとした気分で闊歩する場所だった。  しかし平成の長期不況でデパートなどが潰れ、入れ替わるようにファストファッションの街になり、ドン・キホーテやOKストアさえ進出するただの全国チェーンの集まりになった。外国人観光客たちはドンキをひやかすついでに「円安でお得」になった残骸同然のブランドショップで買いあさりを楽しみ、地べたに座り込むわけである。  東京一極集中と呼ばれて久しい。東京の繁華街は大勢の人でごった返し、再開発も際限なく続けられている。しかし 街としての東京は死んでいるも同然 といえるだろう。その体たらくは イオンモールの中だけ賑わっているが自治体としては死滅した田舎の県庁所在地 と何も変わらないのではないだろうか。  こういう現象は東京のあらゆる繁華街にいえる。かつて若者の街と呼ばれ、最先端のファッションや音楽を発信した渋谷センター街。家電製品とオタクグッズの店のみが軒を連ねた秋葉原電気街も、2000年代に入ってからおしならべてドンキだのヤマダ電機だのファスト風土の全国チェーンだらけになり、独自性を失った。いまは外国人観光客でにぎわいを持続しているが、私たちにはすっかり見慣れたただのコンクリートジャングルが、彼らの目には異国の風景として面白く映っているだけなのである。 首都圏民はなぜ都心に行かなくなったのか (Wiki)  こうした東京の街の賑わいは4000万人が住まう首都圏の膨大な後背人口によって成り立っていた。筆者は神奈川県民だが、私たちのようないわゆるベッドタウン地帯の人々が、休日に遊びに行ったり買い物に行くことで成り立つのが本来の東京の街だった。  だがそういう価値は全国チェーンの氾濫によって消えることになる。かつて秋葉原は、ほかに多くの家電製品を見比べて購入できる場所がないために成り立っていたが、ヤマダ電機などの郊外店の進出で独自性はなくなった。地元市内でクルマで来店して商品を持ち帰れるヤマダ電機のほうが都合...

新幹線に各駅停車は必要ない

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  (Wiki)  新幹線の種別には各駅停車と中程度の列車、最速達タイプの3つがある。東海道新幹線でいえばこだま、ひかり、のぞみの3つがそうだ。のぞみは首都圏と名古屋・関西圏の大都市の駅にしか停車しない。  しかし私にはずっと疑問がある、それは新幹線に各駅停車が必要なのかということだ。新幹線とはそもそも在来線のバイパス路線であるから早くなければ意味がない。だが全駅に停まる新幹線は、当然それだけ遅くなる。こだまの場合、それに加えて後からやって来るひかりやのぞみの通過待ち合わせの停車も多い。  走行中は200km以上が出る新幹線だが、列車の運転区間を停車も含めた運転時間で割った「表定速度」は各駅停車は相当遅くなる。こだまの表定速度は132kmと、在来線特急最速サンダーバードの103kmに近づく。区間を限ればより遅くなり、上越新幹線たにがわの東京~高崎間なら105km程度しかなく、ほぼただの特急並みだ。  新幹線の存在意義は地方遠隔地と東京などの大都市間の移動にある。であれば、移動に時間がかかってしまえば意味がないと考える。少なくとも線路容量のひっ迫した 東海道新幹線からこだまを廃止するべき だと私は考える。 安城市民は三河安城駅を利用しない (Wiki)  東海道新幹線に三河安城という駅がある。よく車内アナウンスで「三河安城駅を定刻通り通過いたしました。あと9分で名古屋に到着します」という、あの三河安城だ。それほど名古屋に近い。同駅はこだましか停車せず、接続する東海道線は快速列車さえ通過する無人駅になっている。新幹線駅なのにである。  理由はこだまがあまりに遅いためである。安城市民が新幹線に乗る場合、もともとの中心駅である安城駅から快速で名古屋に出てからのぞみに乗った方が早い。これは大阪方面はもちろん東京に出るにも名古屋でUターンした方が早くなる。  名古屋の1つ先の岐阜羽島駅だって同様だ。岐阜の最寄りの新幹線駅として設置されたが、既存の岐阜駅からは名鉄で30分かかる上にのぞみは停まらない。だったら快速で20分の名古屋駅まで出てのぞみに乗った方が良くなるのだ。  こうした「宝の持ち腐れの駅」が日本全国にはいくらでもある。特に新幹線用に整備した新駅である場合、もともと市街地にある中心駅との行き来の手間があるので、だったら在来線で再速達停車駅に出た方が良いとなるのは...

政権交代神話をなくせ

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  (Wiki)  支持率ワースト記録を更新し続ける岸田政権。自民党は長年の派閥政治による裏金問題に国民から厳しい批判にさらされているが、その割には野党もパッとしない。おそらく有権者心理で「民主党政権のトラウマ」がいまだにあるからではないか。  2009年の鳩山政権発足時を思い出してほしい。投票率7割という近年稀に見る高さのもと民主党が馬鹿みたいに勝ったのだ。それは普段は投票所にすら行かない、政治をハナから見限っていたような有権者が一斉に動いたということだ。  ネトウヨは民主党を左翼政党だと思い込んでいるが、実際には旧社会党系が目立つだけの「極右も極左もごった煮にした野合集団」である。その野合集団を突き動かしていたのはほかならぬ反自民の無党派層であり、普段は投票所にも行かないような人たちだったのだ。彼らがなぜ自民党を嫌っているかというと保守思想の党だからではない。権力を長期独占し、利権にかまけて腐敗堕落していたからだ。族議員が利権を引っ張ってメシを喰う人にはいいが、既得権益で庇護されない側の国民にとっては税金をむしるだけむしってリターンのない損でしかない政治集団でしかない。  しかしこの民主党が3年で終わってしまったのは、いざ権力を与えてみたら彼らもまた小沢グループと主流派が党内抗争を繰り広げるような派閥政党であり、日教組のドンと呼ばれた輿石東がいたような既得権益集団とつながった利権政党だったからだ。そのくせ経験不足で政治運営は稚拙な劣化自民でしかなかった。その後はこれじゃあまずいと自民党に戻したが、自民党を支持するわけではない。その自民党も下野しているうちにベテラン世代が抜けて劣化していまの政権担当能力に疑念しかないのだが、ほかにかわりがないというのが、この手の有権者心理だ。  私はこれが今の日本政治を停滞させている諸悪の根源だと考える。 政権交代すればなんでもバラ色になると思い込む人たち がいけないのである。旧民主党の支持層と、一見政治に無関心なふりをした過去に民主党を熱烈支持した黒歴史を抱えるB層たちだ。私は政治を前進させるには、その神話を克服する必要があると考える。 政権交代はただの利権の付け替えだと知るべき 政権交代で起こるのはせいぜい利権の付け替えなのですが、そうした利権の定期シャッフルが全体としては社会にとって健全な方向に作用するよね、という非...

大阪は関東の文化植民地になるのか

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観光客向けですね。 東京が押し付けた大阪のイメージ。 こういうノリ大嫌いな大阪の人、多いと思う。 https://t.co/8A06jllDBl — 岩五郎 (@movefirst55) November 23, 2023  大阪・心斎橋のユニクロ旗艦店のドギツい作りが話題だ。東京のテレビでよく伝えられるキッチュな「コテコテ大阪像」を全面に押し出している。写真2枚目の左奥に「羽織ってみたら新世界」のキャッチコピーが見えるが、新世界は通天閣でおなじみの下町の地名になぞらえたものだろう。  しかしこれがとうの大阪人からの評判は悪い。心斎橋は東京で言えば銀座のようなブランド街である。東京に引けを取らない上等な地域であるということが大阪人のプライドでもあった。そのど真ん中で、府外資本のユニクロが 下町オバタリアン的センス を全面に出すのだからナンセンスに感じるわけである。  だがこれが今の大阪の立ち位置でもある。このユニクロはコロナ渦で閉店した跡地に最出店したものであるが、どう見ても地元の大阪府・市民相手ではなく東京や海外からの観光客の需要に振り切った店舗だろう。心斎橋に限らず大阪の多くの繁華街が、免税品店やドラックストアだらけになっている。理由はもちろんインバウンド需要だが、それは地元相手の商売は成立しなくなっているということでもある。 仕事を終えて、大阪メトロ御堂筋線 心斎橋駅から乗車🚃 当初の頓珍漢なリニューアル案が撤回されて、本当に良かった! pic.twitter.com/w8K98CbeCn — あべのっち (@abenotti_gold) September 27, 2023  円安で爆買いの街に変わりつつある心斎橋で、地下鉄駅のリニューアル案が物議になったことがあった。東京にもないような戦前のシャンデリアがぶら下がった歴史あるホームがケバケバしい内観に改修されそうになり、反対署名運動に発展した。結果、穏当な渋いデザインにリニューアルされたが、こうした反対運動が起きる背景として、心斎橋のディスカウント化の流れに不満を感じる市民いるということではないか。  阪神VS巨人に見られるように大阪人は「永遠の関東コンプレックス」の持ち主である。実際戦前であれば、人口でも経済規模でも大阪が東京に勝っていた時期もある。大大阪時代だ。江戸時代からの商都として繁栄する大阪...

箱物韓国と民活台湾

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  (Wiki)  日本の隣に位置し、経済レベルも類似する韓国と台湾。かつて日本の植民地だった過去を持つ両地域は、戦後は反共の防波堤として西側諸国の影響下で発展、ともに同時期に民主化した点も類似する。何かと比較されがちだが、決定的な違いは「官が強いか民が強いか」だと私は考える。  たとえば約20年前にそれぞれ高速鉄道を建設したが、台湾新幹線(画像)は民間企業の高鐡が運営する形式をとっており、既存の国鉄の並行在来線とは競合関係となっている。一方、韓国では公営の鉄道公社が高速鉄道も走らせている。  台湾新幹線は「BOT方式」を採用している。民間による資金調達で建設し、開業後は自分たちで稼いだ後、将来的に公共に移管するというやり方だ。日本のJRのように、公営だったものを後から民営化するやり方とは逆である。後述するように台湾ではこのBOT方式を採用した大型事業が実はとても多い。  筆者は両地域を何度も訪問しているが、単に旅行するだけでもこの違いを意識する場面はあちこちにある。 台湾クリエイティブの発信拠点・文創 (Wiki)  私が台湾で必ず訪れる場所がある。それが「文創」だ。文化創意産業園区の略称で、歴史的な産業遺産などをリノベーションして、若手のクリエイターの発信拠点とするもので、台湾各地にある。どこもアート鑑賞や土産の買い物をするにはうってつけの場所である。その代表例と言えるのが台北市内の華山1914(画像)だ。  成り立ちがとてもユニークだ。もともとここは名前の由来となった1914年に建築された酒造工場だったが、1987年に工場移転に伴い閉鎖されて長年廃墟だったという。その廃墟状態だった場所に若者がこっそり忍び込んで壁画を描いたり、アートの場としてひそかに活用されていた。  ある時ここで 公演をやっていた劇団が不法侵入の罪に問われる事件 が起き、クリエイターの拠点にすべきだと主張。それに多くの支持が広がったことに突き動かされた政府が始めたのが一連の文創政策である。日本だったら逮捕されて終わり、跡地は治安対策で更地にされてただのマンションかショッピングモールになって終わりだろう。ここに市民が権力を打倒して民主化を勝ち取った台湾の民間の強さを感じられる。  この華山1914は、本来の工場の面影を残しつつ、中にショップやレストラン、劇場やライブハウスなどがある。日...

西日本人を先住民族認定したらいいのではないか

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  (Wiki)  日本の少数民族といえば北海道のアイヌとかつて琉球王国だった沖縄の人々をイメージするだろう。しかし日本政府が正式に認定する先住民族は北海道のアイヌのみだという。 国連は琉球先住民を認め、権利保障をするよう繰り返し勧告を行っている が、政府はいまだに認めずにいる。背後には沖縄差別を正当化する右派政治家とそれを支持する右派世論の存在が見え隠れする。  沖縄ヘイトの中心地は大阪である。2016年には大阪府警から沖縄に派遣された機動隊員が市民に対して「土人」と発言した事件があった。それだけでも大ごとだが、 松井一郎大阪府知事(当時)が機動隊員を擁護したことで、沖縄メディアの大バッシング を浴びることとなった。同じ年の1月には、大阪ローカルのテレビ番組に沖縄人を愚弄する発言があったとして 奈良に住む県出身者がBPOに審議を申し立てた こともあった。前年にも大阪の人気放送作家が 沖縄の2つの新聞社をつぶさないといけないと発言 し、言論弾圧の発想だと問題視された。  古くは1903年、大阪で開かれた博覧会で沖縄県出身者が台湾やインドの先住民族らとともに 「七種の土人」として見世物にされる人類館事件 があった。大阪のとなりの兵庫で2005年に起きた福知山線の脱線事故の犠牲者の中に、 沖縄にルーツを持ちながら本土式に苗字の読みを変えた人がいたことも注目 された。兵庫を含めた阪神圏では戦前から工業地帯の労働力として多くの沖縄県出身者が移住してきた。大阪市大正区には4人に1人が沖縄にルーツを持つとされるリトル沖縄が形成されているが、これは「琉球人お断り」で不動産屋に入居を断られるのが当たり前だった時代に近親者同志で住める場所に集まるうちに1つの街ができあがったという背景がある。コリアタウンにも言えることだが、特定の集住地域が生まれる背景には必ず差別があるのだ。 園児に「ニッポン民族」と言わす森友学園、教育と洗脳の線引きを考えてしまう… pic.twitter.com/BsdTNyjj7u — 桜島ニニコ (@sakurajimanini) February 27, 2017  沖縄ヘイトが相次いだ後、安倍政権を揺るがす問題になった森友学園もその場所は大阪だった。この学園をめぐっては教育勅語を子どもに暗唱させるような奇抜すぎる教育法が盛んに伝えられ、その中には「...